■S:今日の聖書の言葉
テトスへの手紙2章14節
★キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。
■O:今日のコラム
今日はテトス2章です。14節の御言葉を見ると、イエス様がささげられたのは2つの目的があることがわかります。そこで「イエス・キリストの贖いの恵み」というテーマでこの2つの目的について分かち合います。
(1) すべての不法から贖い、主のものとしてきよめるため
イエス様の贖いは、私たちをすべての不法から贖ってくださいました。これは救いの中心であり、十字架を見上げるたびに感動するべき偉大な主の御業です。ですが私自身も含めて、この素晴らしい喜びをどんどん忘れてしまいます。そこでこの十字架の贖いの素晴らしさを一つの側面から見つめ直し、思い起こしていきます。
イエス様は、私たちが罪ある状態を借金にたとえられました。マタイ18章24節によると、それは「一万タラントの借り」とあります。これが一体どのくらいの金額でしょうか。以下の前提に立って計算してみます。
・1タラントは、6,000デナリ
・1デナリは、1日分の賃金(仮に1万円とします)
すると、「一万タラントの借り」は以下の式が成り立ちます。
10,000タラント × 6,000デナリ × 1万円
これは計算すると『6,000億円』となります。もし仮に毎月10万円返済したとしても、完済するには『500,000年』掛かります。これは絶望するしかない大きさです。このような金額の借金があったら、私たちはどのような心境になるでしょうか。
実際、私の友人に借金を負ったことがある方がいます。その方は当時の心境を次のように語っていました。
『何をしていても頭の片隅に借金のことがある。給料が入った喜びよりも、まず借金の返済しなきゃいけないと思って心が暗くなる。毎月返済していても、本当に完済できるのかと不安になる。』
このように借金は絶えず私たちの心を蝕み、喜びを奪い去ります。生きていること自体が絶望です。実際、罪とはこれ以上の状態です。なぜなら私たちの努力によって解決できないからです。そして、罪の行き着く先は死であり、永遠の裁きです。
しかし、この罪をイエス様は十字架によって完全に贖ってくださいました。イエス様は十字架の上で「完了した」と宣言されたのです。これは『支払い済み』という意味が含まれています。
そうです。イエス様の贖いは、6,000億円の借金を完済する以上の恵みです。もう重荷から解放され、不安は拭い去られたのです。そこには感謝してもしきれない喜びがあります。それだけでなく、十字架の贖いによって私たちは主のものとされました。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1章12節)
私たちは神の子どもとされ、永遠の命が与えられました。そして天の御国で永遠に主を礼拝し、喜び溢れることが約束されています。今日もイエス様の十字架の贖いの偉大さ、素晴らしさを見上げ、心からの賛美を献げます。
(2) 良いわざに熱心に励む
イエス様の贖いは、私たちが良いわざに励むように導かれます。それは主が生きて働かれ、栄光が現されるようになるためです。
良いわざと聞くと、どのようなもの思い浮かべるでしょうか。何百人に福音を伝えることや癒しの奇跡などが思い浮かびます。それも素晴らしい主の良いわざです。しかし、御言葉は見ると決してそのようには書いていません。テトス2章2-10節を見ると、これらはすべて日常生活での行いです。
「慎み深く、貞潔で、家事に励み、優しく、自分の夫に従順であるようにと、さとすことができるのです。それは、神のことばがそしられるようなことのないためです。」(テトス2章5節)
驚くべきことにここでは『家事に励む』ことが良いわざの一つとして挙げられています。このように良いわざとは、決して大きなことを成し遂げるのではなく、何をするにも御言葉に根差し、主の愛を生活で行うことにあります。
実際、私は生活の中で妻の行いによって感動した出来事があります。先週、私の足りなさゆえに妻を怒らせてしまった時がありました。その時、妻は感情的になり、思っていること以上に批判的な言葉を口にしたようです。私は自分の足りなさゆえであるため反省したのですが、そこまで言われることかな?と心の中にはモヤモヤが残りました。
次の日、妻は午前中から祈りの家に行き、祈りと御言葉の時間を過ごしました。お昼に帰って来たので、私が昼食を準備して一緒に食べようと席に着くと、妻が涙ながらに昨日言ってしまった言葉について謝ってきました。話を聞くと、祈りの家で主に御言葉を示されて悔い改めたということです。妻は自分が間違っていたことを心から認めて、私に謝罪しました。
私はモヤモヤしていることを何も言っていないのに、妻が自ら御言葉と祈りの中で悔い改めて謝罪したことに心から感動しました。過ちを犯さないで歩む以上に、主との関係が親密で絶えず祈りと御言葉に生き、主に示されてすぐに悔い改める歩みが素晴らしいと感じたのです。そして何よりも主が生きて働かれているお方であることをより実感しました。
このように良いわざとは日常生活の行いであり、それを通して主が栄光を受けることにあります。
今日も私たちの生活が御言葉に根差し、主の愛に歩むことを願います。
■A:考えてみよう
・イエス様の贖いの喜びが今日も溢れていますでしょうか?
・日常生活が御言葉に根差した良いわざとなっているでしょうか?
■P:祈り
イエス様の十字架は、私が返すことができない罪を完全に贖ってくださり、心から感謝します。今日もそれを喜びます。また救われた歩みとして、日々の生活が御言葉に根差したものとならせてください。良いわざを通して主の栄光が現れることを求めます。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あさひ 】
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あさひ様
主の御名を賛美します。
3兆円もの寄付をしたアメリカの大富豪は、記者会見で「天国に行くためのいくつかある方法の一つだ。」とコメントしたそうです。
でも、天国の道は金額ではなく、信仰によらなければ償うことが出来ないのだと思います。
イエス様が支払って下さった尊い犠牲によってのみ、天国の道が開かれていることを覚えたいと思います。
毎日の生活の中で、みことばを朗読し、イエスの血潮を宣言する祈りによって、イエス様のみこころを行うものになりたいと願います。
本日のメッセージを感謝します。