■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙第二4章8節

★今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

■O:今日のコラム
パウロの手紙の特徴的な一つはこの世のことを例として挙げ、そこから天のことへと話しを進めて行きます。特に主から栄冠を受けることについてスポーツの話しを多く例に挙げて語っています。なぜならそれが信仰の歩みや闘いに非常に酷似しているからです。

「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。」(第一コリント9:24)

ここではマラソンについて言及しています。マラソン選手は過酷な道のりをゴール目指して一心に走って行きます。同じように私たちもそれぞれに主から任せられた走るべき人生のコースがあり、それは決して平坦で楽な道のりではありません。多くの試練や困難があり、投げ出し、諦め、止まりたくなる時もあるでしょう。しかし、キリスト・イエスを目指して永遠の報いを夢見て、与えられた人生において信仰の道を一心に走り続けようではありませんか。

「また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」(第一コリント9:25)

さらに続く言葉では格闘技が例に挙げられています。この当時の格闘技はグラディエーター(格闘家)たちの命をかけた格闘が行われていました。そこで勝者に与えられるのは月桂樹の葉で作られた月桂冠と栄誉でした。パウロはこれを朽ちていく冠と呼んでいます。しかし、私たちは朽ちることのない義の栄冠を受けるためにこの人生の様々な霊的、精神的、肉体的(物質的)な格闘に打ち勝って行くことを目指しましょう。

しかし、この義の栄冠はただ熱心に一生懸命、信仰生活や奉仕、ミニストリーや活動に取り組み、多くの成功を収めるなら得られるというものではありません。パウロはテモテの手紙でこう述べています。

「また、競技をするときも、規定に従って競技をしなければ栄冠を得ることはできません。」(2テモテ2:5)

義の栄冠を得るためには「規定に従う」必要があるのです。その規定とは「主の御言葉」です。私たちはこの世で得た成功や業績、財産や名声が自分の人生で得た実だと思ってしまいますが、主の御前では御言葉に従って結んだ実だけが永遠に残る実となるのです。

山上の垂訓の結論においてイエス様がこのことに言及しておられます。その時、多くの人が主の御前に来て自分の業績や働きを誇って言います。

「その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』」(マタイ7:22)

このことに対してイエス様は何と評価しておられるのでしょうか。続く御言葉を読んでみましょう。

「しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』」(マタイ7:23)

この「不法」とは御言葉の基準から外れたという意味があります。私たちが永遠の賞と栄冠を得るためには、この人生という競技場の中で御言葉の基準に従って走り、御言葉の基準に従って戦う必要があるのです。それなのでパウロはテモテの働きに対してこの様な勧めの言葉を述べています。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」(2テモテ4:2)

純粋に御言葉を述べ伝えることをパウロは勧めています。これが信仰のレースを走る為の励ましとなるのです。この言葉の最後に「勧めなさい。」とありますが別訳では「励ましなさい(チャレンジしなさい)。」とあります。マラソンを走る選手にとって、また試合に臨む格闘家にとって甘く優しい言葉が励ましとなるのではなく、「立ち上がれ。闘い抜け。走り続けろ。必ず勝利が出来る。」というチャレンジの言葉が最後まで走り抜く為の力となるのです。

御言葉をそのまま読む時、私たちに高い基準が要求されているように感じて重荷に感じてしまうことがあるかもしれません。しかし、だからと言って御言葉の基準を下げて、優しく薄めるのではなく、これが主イエスの十字架の贖いの恵みと、聖霊様の助けによって必ず出来ることを信じて、自分の魂にまた人々に御言葉をそのまま宣べ伝え続けようではありませんか。

ゴールが分からないマラソンをするなら最後まで走り抜くことが出来ないでしょう。マラソン選手は苦しい時にもゴールを見据えているからこそ走り続けることが出来るのです。私たちは信仰のゴールを明確にし、何にフォーカスを充てて走るべきかをもう一度心に覚えましょう。パウロは義の栄冠を得ることについてこう述べています。

「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」(2テモテ4:8)

義の栄冠を得るためには「主の現れを慕う者」であることが条件として記されています。「主の現れを慕う」とは別訳では「主イエスの再臨を待望する。再臨を愛する。再臨を歓迎する。」と記されています。つまり私たちの信仰のゴールは主イエスの再臨です。今一度、自分の信仰の歩みがどこに向かっていたのかを点検し、間違ったゴールを設定していたのであれば方向転換し(悔い改め)、義の栄冠を得る為にこの信仰のレースを勇敢に走り続けようではありませんか。

■A:考えてみよう
祈りの中で自分の信仰の歩みを吟味する時間を持ちましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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一つのコメント


  1. しゅんいち より:

    しんご様
     主の御名を賛美します。
     信仰のレースのゴールが再臨のイエスキリストであるなら、盗人のごとく来られるイエス様がいつ再臨されても良いように、みことばに堅くたって歩むことが全てのクリスチャンには求められているように思います。
     わたしは、「愚かな娘」として「わたしはあなたがたを知りません。」とイエス様に冷たく言い放たれた暗い過去を持つクリスチャンでした。しかし、そんな油を切らした「愚かな娘」にも油をただで譲ってくれるSHOPとの出会いが与えられて感謝しております。
     いつイエス様が再臨されても大丈夫なように、イエスの血潮を宣言する祈りとみことばの朗読に努めようと思います。
     本日のメッセージを感謝します。

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