■S:今日の聖書の言葉
ヨエル書3章12~15節
★諸国の民は起き上がり、ヨシャパテの谷に上って来い。わたしが、そこで、回りのすべての国々をさばくために、さばきの座に着くからだ。
かまを入れよ。刈り入れの時は熟した。来て、踏め。酒ぶねは満ち、石がめはあふれている。彼らの悪がひどいからだ。
さばきの谷には、群集また群集。主の日がさばきの谷に近づくからだ。
太陽も月も暗くなり、星もその光を失う。
■O:今日のコラム
ここには、世の終わりに主が地上再臨される時に、大収穫と同時に主に逆らった民が裁かれる様子が描かれています。
その時に主が裁かれる民はエルサレムの東、キデロンの谷で怒りの酒ぶねと呼ばれるところで踏まれます。
「また、もうひとりの御使いが、天の聖所から出て来たが、この御使いも、鋭いかまを持っていた。
すると、火を支配する権威を持ったもうひとりの御使いが、祭壇から出て来て、鋭いかまを持つ御使いに大声で叫んで言った。『その鋭いかまを入れ、地のぶどうのふさを刈り集めよ。ぶどうはすでに熟しているのだから。』
そこで御使いは地にかまを入れ、地のぶどうを刈り集めて、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた。
その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。」(黙示録14:17~20)
ヨシャパテとは「主は裁かれる」という意味です。ヨシャパテの谷はエルサレムの東のキデロンの谷であるとユダヤの伝承で言われています。その谷は北から南へと広がっています。
一方、主がオリーブ山に足を降ろされると、オリーブ山は北と南に裂け、神殿から東に向かって死海に至るまでの谷ができます。そして主が黄金門から神殿に入られると主の御座から行ける水の川が流れます。
「その日、山々には甘いぶどう酒がしたたり、丘々には乳が流れ、ユダのすべての谷川には水が流れ、主の宮から泉がわきいで、シティムの渓流を潤す。」(ヨエル3:18)
神殿の東の南北にわたるキデロンの裁きの血と神殿の御座から東に流れるいのちの水の川は、交差しこの地上に表されることになります。
十字架とは、神の裁きと神の憐みの交差した物です。十字架でイエス様の脇腹から血と水が吹き出したように、血と水がここでも溢れます。どこまでも主は、十字架がこの地上に表される計画を持っておられます。十字架は主の栄光のしるしだからです。
最近気づいたのですが、栄光の「栄」という字は、イエス様の栄光をよく表しています。「木」とは聖書において十字架を表しますが、その十字架に冠をかぶらせ、3つの言葉(イエス様の上には、ヘブル語、ラテン語、ギリシャ語)で「これはユダヤ人の王イエス」と書かれましたが、それが「栄」という字を構成しているのです。
十字架が表されることは、イエス・キリストが王であることが示されることです。
■A:考えてみよう
愛する主をかしらとして、王として生きるなら、私たちは必ず十字架をこの地上に表す者になります。主の栄光を現す者になるように私たちは召されているのです。
私たちの毎日の心、言葉、生き方の全てが、主を王とした者としての心、言葉、生き方としてますます成熟することを願い求めましょう。
■P:祈り
主よ。あなたを愛し、敬います。我が主よ。あなたは私のかしらであり王です。私の心、言葉、生き方の全てがあなたを王とした者の姿でありますように願います。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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まじまこ様
主の御名を賛美します。
「栄」の文字に、神の「裁き」と「憐れみ」が表現されていることを興味深く読ませて頂きました。
終末時代には、キリストに従う「賢い娘」と、キリストに背く「愚かな娘」がますます明らかにされると思います。
「愚かな娘」として厳しい「裁き」を受けた私ですが、油を切らした「愚かな娘」に油を差し出す聖書に書かれた「賢い娘」よりも優しい新宿シャローム教会の皆さんに「憐れみ」を頂き感謝しています。
本日のメッセージを感謝します。