■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙第一6章15〜16節

★その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。

■O:今日のコラム
私たちがイエス・キリストにあって救いを受けるということは主権者が変わることを意味しています。アダムとエバが口にした善悪の木の実は「あなたが神のようになる」という実であったため、人類に罪が入って来た時以来、人は自分が人生の主権者として生きるようになりました。詩篇の中で神をあざける者たちはこのように告白しています。

「彼らはこう言うのです。『われらはこの舌で勝つことができる。われらのくちびるはわれらのものだ。だれが、われらの支配者なのか。』」(詩篇12:4)

罪の性質の故に私たちは神に従うことを拒否し、自分の思うまま自己中心に歩むことを願い、皆が神に敵対して生きるようになりました。その自己中心性は神が人を創造したことに心を痛め、後悔する程に根深く陰険なものでした。

また罪の性質の故に「主権者」というイメージは歪められ、主権者は人々を支配し、奪い、抑圧する為、私たちは「主権者」という言葉が持つ意味を悪く捉えるようになりました。地上で最初の主権者となったのはニムロデという人物ですが、彼について聖書にはこう記されています。

「クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。 彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、『主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。』と言われるようになった。」(創世記10:8〜9)

ここに「主のおかげで」と書かれているのでニムロデはあたかも主に祝福されて権力者になったかのように読んでしまいますが、原文では「主に反して」と記されています。ニムロデは主に反抗し、主に敵対して主権者となったのです。その心は彼が人類に造らせたバベルの塔に明確に表されており、現代に至るまで神に反するあらゆる宗教や政治、経済や社会システムの原型がこのニムロデとバベルの塔の内にあるのです。

このように私たちは唯一の主権者である神に反抗し、敵対する世の文化と流れの中に生きているので、救われた私たちが第一テモテ6章15節〜16節の御言葉を黙想することはとても大切なことなのです。この御言葉を黙想する時、まず主権者に対する本来のイメージが回復します。

私たちの主は「祝福に満ちた唯一の主権者」です。恐怖と傲慢さ、暴力と自己中心によって私たちを支配する主権者でなく、主は愛と命と恵み、義と平和と喜びを持って私たちを治めてくださる祝福に満ちた唯一の主権者なのです。このような素晴らしい主権者はどこにもありません。

神の主権へのイメージが回復する時、主がアダムとエバを通して私たちに与えて下さった「産めよ、ふえよ、地を満たせ。地を満たし、支配せよ。」(創世記1:28 参照)という御言葉の捉え方が変わり、主が私たちを祝福の中で治めて下さっているように、私たちも遣わされた場所に命を運び、主のエデン(喜び)が広がり、そこが主の恵みと祝福によって満たされ、神の国の統治がなされることを求めるようになるのです。

アテフ博士が日本に初めて来た時のセミナーでこの御言葉に触れ、これは神がどのようなお方であるかを明確に言い表した箇所であると語っておられました。イエス・キリストを信じるとは主権者が変わることです。今私たちの主権者は主ご自身です。その主権者がどのようなお方であるのかをもっと深く知り、味わう為、今日の御言葉を黙想して祈りましょう。

■A:考えてみよう
御言葉を朗読し、黙想し、祈りましょう。

「その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。」(1テモテ6:15〜16)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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