■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙第一5章8節
★もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。
■O:今日のコラム
ここのリビングバイブル訳は、「そのような人をクリスチャンと呼ぶことはできない」とまで書いてあります。信仰とは私たちを生み出してくださった神に感謝し、敬うことだからです。
不信者であっても、多くの人々は親を敬う習慣を持っていますから、不信者よりも悪いと叱責されることになります。
私には二人の子供がいますが、子供の教育の中で一番気をつけているのは、勉強でも家事の手伝いをさせることでもなく(それはとっても大事なことです)神と親とを敬うことです。聖書にこうあるからです。
「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。」(エペソ6:1~2a)
父母を敬うことは第一のことである、とあります。そして敬っていることはどうやって確認できるのか?というと従順によるのです。
心の中のことは人に分からないことがあります。信頼しているのか?敬っているのか?愛しているのか?ということは信仰の根幹でありながら、ぱっと見では分からないことがあります。しかし、それら全ては従順へと結びついています。そして行いは見ることができるものです。ヤコブ書は、行いのない信仰は他人が見ることができないのだ、と説明しています。
ところでリーダーがリーダーであることの最も幸いを感じるのは、メンバーに信頼され、それゆえにメンバーが従ってくれる状態であると思います。いやいやい従っているのを知ることはあまり良い気持ちはしないでしょう。人格ある者にとって、そのように敬われ、信頼されることは最高に幸せな状態なのです。
私たちは私たちのかしらであられるイエス様をどのようにしてお喜ばせすることができるでしょうか?信仰によらなければそれはできません。そして信仰とは尊敬と従順を含んでいるものなのです。確信をもって信じていることは従順によって確かめられることがあります。
■A:考えてみよう
私たちは父母を敬い、愛し、罪でないことならば従って歩みましょう。それは信仰そのものなのです。また子どもには不敬、不従順はいけないことであることを愛をもってさとし、教えることを大切にしましょう。
そして最も大切なことですが、私たちのかしらであられるイエス・キリストを愛し、敬い、心から信頼して従いましょう。それは私たちにいのちをもたらす約束を伴うものである、とエペソ6章3節は語ります。これは永遠のいのちを豊かにもつことにもつながるものです。
「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、『そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする』という約束です。」(エペソ6:1~3)
■P:祈り
私を産んでくれた親を愛し、尊び、喜ばせることができますように。また私を造られた神である主に、心から信頼し、尊び、愛する者になりたいと願います。今日の歩みにおいても、主をお喜ばせする信仰に生きることができますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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