■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙第一3章9節

★きよい良心をもって信仰の奥義を保っているひとです。

■O:今日のコラム
聖書を読んでいると、良心と信仰は深く結びついていることが分かります。

「ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。」(1テモテ1:19)

良心を捨てるならば、信仰が岩礁に乗り上げて、船が難破することを語っています。だから、私たちが「正しい良心」を持つことは、信仰のレースを走っていくためにとても大切なことであると思いました。

エルサレムで捉えられ、祭司長と全議会の前に立たされました。その時、パウロが語った言葉は、「兄弟たちよ。私は、今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活してきました。」(使徒23:1)と話します。私は、パウロが祭司長や全議会の前に立たされても動じないパウロの姿を読み取り、すごいなと思いました。普通だったら引け目を感じてしまうのではないかと思いました。パウロが動じなかった秘訣は、どこにあるのだろうかと考えました。考えた結果、私は「きよい良心」にあるのではないかと思いました。その後に、続く24章でもパウロはこのように語っています。

「そのために、わたしはいつも神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善をつくしています。」(使徒24:16)

「神の前にも人の前にも責められることのない良心」こそが議会に引かれて、大勢の前に立たされても動じない秘訣なのではないかと考えさせられました。なかなかそのような良心を持つのは、難しいのではと考えてしまうこともあるでしょう。しかし、パウロが語っているように、「保つように最善をつくす」ことが大切なのだと思います。完全でなくても追い求めていく心が大切ではないかと思いました。

共に、良心がきよめられることを求め、祈りつつ、次の御言葉を自分のたましいに宣言していきましょう。

「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」(ヘブル9:14)

「そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」(ヘブル10:22)

■A:考えてみよう

「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」(ヘブル9:14)

「そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」(ヘブル10:22)

上の御言葉の種を自分のたましいの内に蒔き続けよう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あいこ 】

カテゴリー: マナメール

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