■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙第一2章9~15節
★同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、
むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行いを自分の飾りとしなさい。
女は、静かにして、よく従う心をもって教えを受けなさい。
私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。
アダムが初めに造られ、次にエバが造られたからです。
また、アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました。
しかし、女が慎みをもって、信仰と愛と聖さとを保つなら、子を産むことによって救われます。
■O:今日のコラム
ここで女のあるべき姿について記されます。私たちは皆、男であってもキリストの花嫁であり女と描かれます。
ここで事あるごとに表現される性質は「慎み」です。慎み深い妻となるように私たちは召されています。
1、夫であるキリストをかしらとする
夫のしたいこと以上に自分のしたいことが前に出たり、夫の尊厳以上に自分が栄誉を受けたいという心は慎みのある心とは言えません。逆に自分のしたいこと以上に夫のしたいことを優先し、夫の尊厳を尊び、敬う心は慎みのある心です。(地上の夫婦の場合、罪であるなら従ってはいけません)
また敬うことは従順であることでもあります。エペソ6章で敬う事は従うことと並列して書かれています。
「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。」(エペソ6:1~2a)
私たちは、尊敬し従うことを自分の何かを奪われるように感じることがあります。それは尊敬し従うことによって相手ばかりが益を受けるような経験を味わった過去があるからかもしれません。
しかし主は良いお方であり、私たちを命懸けで愛しておられる、正しく、間違えることのないお方です。その主に従うことは、足りない私たちにとってどれほどの益なのでしょうか!ますます従うことが損だという偽りが打ち砕かれますように。
2、世のものにではなく、主によって満ち足りる
世のものは、世で生きていく上では大切な物です。大事に管理すべきです。しかし主が願われるならいつでも手放せる心構えはしておくべきです。なぜなら主によって贖われた私たちの全ては神のものだからです。
主の願いに沿って大切なものを捧げるならば、必ず主はそれを遥かに超えた素晴らしいものを報いとして与えてくださいます。
慎みとはギリシャ語でソフラスーネですが、この語には「酔っ払っていない。しらふ」という意味があります。この世のもので酔っ払ってしまっている状態ということが酒を飲まない人にもありえます。ある場合はただこの世の楽しみで酔っ払った状態ですが、ある場合はこの世の思い煩いでフラフラになって上も下も分からないような状態、悪酔い状態であることもあると思います。
しかしいつでもイエス様を愛し、信頼し、希望を持ち続けるべきです。
この世の宴会で夢中になり夫の言葉に従わず軽んじて退けられたワシュティのような女になってはなりません。エステルになりましょう!
■A:考えてみよう
自分の全てが主のものであることを告白しましょう!そして主を愛し、主に信頼し、主にある希望を握って歩みましょう!
そのような歩みの延長線上に慎みを身に付けたエステルのような花嫁の姿があることを信じましょう!
■P:祈り
私の時間、経済、能力、立場、役職、家族も人間関係もあなたのものです。私はあなたに贖われた者ですから。あなたためにお用いください。今日の1日もあなたを愛し、信頼し、従っていきます。あなたが希望です。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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