■S:今日の聖書の言葉
イザヤ61章10,11節

★わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。主がわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。地が芽を出し、園が蒔かれた種を芽ばえさせるように、神である主が義と賛美とを、すべての国の前に芽ばえさせるからだ。

■O:今日のコラム
イエス様の血潮を宣言する本の著者である、アテフ・メシュレキー博士が以前、「内なる人セミナー」に講師として来られた時に、この箇所から御言葉を分かち合ってくださいました。

「神様が喜びについて語っています。喜びは魂の中に入り、魂を広げます。喜びの理由は、救いの衣と正義の外套です。この救いを私たちの中に広げたいと主が願っています。それが起こる時、私たちが知っている喜びとは違う喜びがくだってきます。人間的なもの、感情的なものではなく、上から来る喜びです。そしてこの喜びは、私たちの霊に翼を与え、この霊の翼、魂の翼が、私たちを軽くして空を飛ぶかのようにしてくれるのです。」

内なる人の回復を覚えるとき「喜び」はとても大切なテーマの一つです。

聖書で表されている「喜び」は、今日の御言葉を見るとき「花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださる」という「花婿」と「花嫁」の2つの絵をもって表されていることが分かります。

この「かぶらせる、飾る」という言葉はヘブライ語で「祭司の身にまとうもの」という意味であり、私たち一人一人が祭司として神様に喜ばれるものであることを指します。一人残らず、人間に対して最初に与えられている務めが「祭司」です。

そしてもう一つの絵が「花嫁」です。私たちは外に向かっては花婿、働きにおいては祭司なのですが、内に向かっては、花嫁であるということを覚えます。
花嫁らしく整え、着飾る宝石は、恵み豊かになり、愛をもって人に接し、同時に謙遜である、ということを内なる人セミナーで学びました。

今日の御言葉の後半、11節には「地が芽を出し、園が蒔かれた種を芽ばえさせるように、神である主が義と賛美とを、すべての国の前に芽ばえさせるからだ。」とあり、雅歌書にはこのように書いてあります。

「私の妹、花嫁よ。私は、私の庭に入り、没薬と香料を集め、蜂の巣と蜂蜜を食べ、ぶどう酒と乳を飲む。友よ、食べよ。飲め。愛する人たちよ。大いに飲め。」(雅歌5:1.2)

私たちのうちに種が蒔かれ、芽を出し、園が準備され整う時、友人たちとともに大いに喜ぶことができます。そして、花婿を迎える準備がされるのです。

では、私たちのうちに「種」が蒔かれる必要があります。先日は、仮庵の祭りの8日目、シムハット・トーラーでしたが、今日という日に御言葉を愛することを選び、御言葉の種が私たちのうちに蒔かれ続けることを願います。

そして今日という日に、御言葉なるイエス様を見る心の目がはっきりと開かれていきますように。

■A:考えてみよう
今年の秋の祭りでは「終わりの時の生き方、エノクの歩み」について、多く講壇から語られました。

喜びの人であったエノクの名前は「献身」という意味があります。

天の父の心に死に至るまでも従われ、献身されたイエス様を模範とし、御言葉に献身する歩みを選び続けていきましょう。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Iテサロニケ5:16-18)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 こばあい 】

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