■S:今日の聖書の言葉
イザヤ書53章11節

★彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

■O:今日のコラム
日本時間の今日0時から、イスラエルで仮庵の祭りが始まります。仮庵の祭りは秋の三大祭りの最後の一つであり、最も喜ばしい祭りです。今日は仮庵の祭りの二つの側面を見てみたいと思います。

1.勤労の実 / お生まれになったイエス
仮庵の祭りは、勤労の実を取り入れる収穫祭です。

「年の終わりにはあなたの勤労の実を畑から取り入れる収穫祭を行わなければならない。」(出エジプト23:16b)

私たちが天で評価されることがあります。この地上で実を結んだのかどうかです。私たちが結ぶべき実はなんでしょうか。それは私たちの内なる人がキリストの性質をもつようになることです。

仮庵の祭りはイエス様がこの地上に生まれたときでもありますが、私たちがキリストの性質にあずかるようになることは、私たちの内側にイエス様がお生まれになってくださることです。

私たちが主の前に立つときに、私たちの内にキリストが生まれているでしょうか。私たちが実を結ぶために必要なことはイエス様にとどまることです。

「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」(ヨハネ15:4)

2.イスラエルが仮庵に住んだ / 天の幕屋
仮庵の祭りについて、聖書ではこのように命じられています。

「あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな、仮庵に住まなければならない。これは、わたしが、エジプトの国からイスラエル人を連れ出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの後の世代が知るためである。わたしはあなたがたの神、主である。』」(レビ記23:42-43)

主がイスラエル人を仮庵に住まわせたことは、何を意味しているのでしょうか。それは、イスラエル人の食物も、歩み、いのちさえも、ただ主の御手によってのみ保たれていたということです。そして、「仮」庵とある通り、荒野が目的地ではなく、約束の地を目指しているということです。

黙示録7章には、天の幕屋(仮庵)が登場します。そこで主と共に住む者たちは、自分たちの力でも、行いでもなく、ただ血潮によってのみ主と共に住む資格を得ることができます。

イスラエルの民がエジプトを出て、ただ主の恵みによってのみ約束の地につくことができたのと同じように、私たちもただ主の恵みによってのみ、約束された天にある住まいにたどり着くことができます。

■A:考えてみよう
古代イスラエルの文化においては、結婚の最初の七日間は仮庵の中で花婿と花嫁が過ごします。私たちが地上で主のために行った労苦の一番の報いは、イエス様と最も親密な関係に入ることができることです。

今日の聖書箇所であるイザヤ53章は、旧約聖書の中で最も明確にキリストの贖いについて書かれている預言の一つです。この全体を朗読し、私たちを花嫁として召し、導いてくださる主イエスのみわざを思い巡らし、感謝を捧げましょう。

■P:祈り

愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 けいしろう 】

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