■S:今日の聖書の言葉
ピリピ人への手紙2章4節
★自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
■O:今日のコラム
人は一人だけでは生きていくことができません。もちろん、一人になりたいと思うことはあるかもしれませんが、たとえ無人島に行ったとしても「あの人どうしてるかな?」などと、やはり人の事を考えてしまうので、完全に一人になっているとは言えません。
神様は人を創造されたときにこのように言われました。
「神である主は仰せられた。『人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。』」(創世記2章18節)
人はひとりでいるのは良くないのです。それ故に神様はふさわしい助け手を創造してくださいました。
このことは男と女に関することですが、今まで神様は創造されたすべてをご覧になり「良い」と仰せられたのに、初めて「良くない」と言われたことが人がひとりでいることです。
聖書の中で最も大切なことは何でしょうか。それは、隣人を愛することです。つまり、人をひとりにさせないことです。孤独というのは本当に辛いものです。
今日のみことばでは、「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」とあります。これは、自分の利益だけでなく、他人の利益にも関心を持ちなさいよということです。
自分の利益だけ考える人とはどのような人でしょうか。今では密を避ける世界になってしまったのであまり見かけませんが、例えていうのであれば、バーゲンセールで人をはねのけ、自分だけが商品を独占しようとする人です。
そのような人の関心の矢印はどこを向いているでしょうか。間違いなく自分です。私たちはみことばに従って、この心の矢印をいつも他人の関心ごとに向けていく必要があります。
■A:考えてみよう
どのようにしたらいつも他人の関心に心の矢印を向けることができるのでしょうか。考えてみてください。
ひとつは、まず、自分が満たされるということです。自分が傷だらけなのに、他人を助けることができるでしょうか。自分に知識が無いのに人に教えることができるでしょうか。自分に十分な経済力が無いのに人の経済を支えることができるでしょうか。
どうやら、隣人の関心に矢印を向けるには、まず、自分が満たされる必要があるようです。
それでは、自分が満たされるにはどのようにすればいいのでしょうか。それは、私たちは神様によって創造された、神の子、神のかたちを持っている存在だということを知ることです。みことばの中から神様が私たちに向けてくださっている励ましのことばを集め、自分のたましいに言い聞かせてあげることです。
人は考えた通りの者になります。考えを制限するものはありません。お金もかかりません。思うだけなら誰にも邪魔されず、自由に思うことができます。それであれば、「聖書が私にこう言っている」ということを思い続けるなら、本当にそのような人になります。エリサベツがマリアに言ったことばの通りです。
「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(ルカ1:45)
神様を求め、みことばを信じ、自分が満たされたなら、そこから溢れるものを隣人に分け与えていきましょう。決して無理をしてはいけません。無理するならいつか疲れ果ててしまいます。わずかでもいいので、神を愛した結果溢れるものだけをもって隣人を愛していく必要があります。
もう一つは、人は、自然なままでいると、いつも矢印は自分に向かってしまうということを理解しておくことです。これは生きていくための防衛本能でもありますが、一方では罪の性質でもあります。なぜなら、罪とは自己中心だからです。いつも自分、自分、すべての矢印は自分に向けられるものです。
しかし、イエス様の十字架の贖いによって、その矢印は正反対に変えられ、隣人に向けられることになります。心の矢印、関心ごとがいつも自分に向いているか、隣人に向いているかを意識し始めるだけでも、私たちの考え方、生き方が変えられていくと信じます。
今、世の中で急速に愛が冷めてきているように感じます。日々の悲しいニュースの数々に、本当に生きるのに苦しい世界になって生きてるのを感じます。
これが世の中の流れです。では、聖書はどのように言っているでしょうか。
「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)
悲しいニュースを見ると、人には共感能力というものが備わっているので、悲しさに共感してしまいます。ですから、あえて情報を入れないというのも自分を守る大切な方法です。これが、この世と調子を合わせないということの一つの適応です。
そのようにして自分の心を主によって守っていただき、あふれる情報から自分の心を守っていく必要があります。
いつでも自分、自分というのではなく、隣人を思いやれる信仰と人格の成熟した人を目指していきたいものです。
今日のみことばに続く5節にはこのように書かれています。
「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」
これは、別の訳では「キリスト・イエスに在る思いで互いを思え。」と書かれていました。
自分の目を通してではなく、いつも十字架を通して隣人を見る視点が必要です。これは簡単なことではないと思いますが、今日取り組まなければ永遠に取り組めないものです。少しずつでもいいので、共に溢れるものをもって、私が隣人を思いやることができることは何か、すなわち、私がキリストにあって贈ることができるプレゼントは何かを考えていきたいと願います。
■P:祈り
愛する天のお父さん、私があなたの御手によって創造され、今生かされていることを感謝します。私が生きているということは父と母がおり、多くの人の助けによってここまで来れたことを覚えます。
まだ主を知らなかった時からでさえ、神様はすべてをご計画され、必要な助け手を与え続けてくださった事を心から感謝します。その方たちに私は何がお返しできるでしょうか。今を喜びをもって、精いっぱい生きていくことでしょうか。どうか、教えてください。
明日から始まる仮庵の祭りは歓喜の祭りです。キリストとの婚姻を啓示する祭りです。この婚姻に招かれることが約束されているのですから、この喜びをもって、隣人に祝福を与えるものとさせてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【 しゅん 】
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