■S:今日の聖書の言葉
ピリピ人への手紙1章9~11節

★私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。

■O:今日のコラム
皆さんは、主の御前に立つ時に、どのような実を結んでいたいでしょうか。

実家に帰った時に、庭に小さな農園(母が名付けた)がありました。本当に小さな面積なのですが、意外にも色んな種類の野菜がたくさん収穫出来るので驚きました。そこで「よくこんなにたくさん種を蒔いたね!」と母に言ったのですが、実際はどんな種を蒔いていたかをすっかり忘れていたようで、「あら~こんな種も蒔いてたのね~」と実を見ては思い出して、笑いながら、その日の収穫を喜んでいました。

実は、種がなければ結ぶことが出来ません。種は、土の中に隠れていて見えませんが、実を結ぶと何の種が蒔かれていたのかが、その時に明らかにされます。私たちがどのような種を蒔いたのかは、この地上においてはまだ見えませんが、「キリストの日」すなわち、主が再び来られる日に、それらは実となって明らかにされるのです。

今日の箇所で、パウロは「イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。」と祈っています。

実というと、御霊の実を思い浮かべたりしますが、どれも簡単に結べるような実ではありません。特に最後の「自制」などは。(ガラテヤ5:22-23参照)
ですから、実を結ぶためには、私たちがすべきこと、通るべきプロセスがあります。何もせずに実を結ぶことは出来ないのです。

では、今日の箇所にあるように、私たちが義の実を結ぶためには、どうしたらいいのでしょうか。

まず、自分には義がないことを認めることです。聖書には、はっきりと義人は一人もいないと書かれています。(ローマ3:10~12参照)

人間関係において、また周りの現状を見て、あれはだめだ。あの人はこうした方がいい。私の方が正しいのに。などと思うことはあるでしょうか。もし私たちが、そのように自分や周りを見ているなら、私という義があり、さばきの座に私が座っているのです。しかし、私たちの義やさばきというのは、自分の感情や考えが隠れていて、正しいはかり、基準を持っていません。義なるお方はただ一人、さばきを行うことが出来るのは、主お一人です。ですから、私たちは、自分には義がないことを認め、聖霊様に、罪について、義について、さばきについて教えていただき、悔い改めへと導かれる必要があります。(ヨハネ16:8参照)

次に、イエス様の義を求めることです。

今日の箇所にも「イエス・キリストによって与えられる義の実」とあります。義は、自分の努力や熱心さによって与えられるものではなく、イエス・キリスト、その十字架、流された血潮によってのみ与えられることを覚えます。

「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3:24)

自分を義としたい思いがやってくる時、また自分を必要以上に責める思いがやってくる時、私たちは、イエス様の十字架の前に出て、イエス様の血潮を受け取り、義の衣を身にまとっていく者となりたいと願います。

そして、最後に、平和をつくる者になることです。なぜなら、御言葉には、このように書かれているからです。

「義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」(ヤコブ3:18)

しかし、平和をつくると言っても、どうやって?と思うのではないでしょうか。平和や一致、世の中にもそういう言葉は溢れていますが、果たして、そのような平和や一致を求めることが、聖書の語る平和や一致なのでしょうか。私はそうではないように思います。

聖書を読んでいく中で、義と平和はセットで書かれています。

「恵みとまこととは、互いに出会い、義と平和とは、互いに口づけしています。」(詩篇85:10)

恵みとまこと、義と平和、それはイエス様ご自身にあります。なぜならイエス様は恵みとまことに満ちているお方、義なる神、平和の君だからです。

ですから、私たちは世の中の方法によって平和や一致を求めるのではなく、イエス様ご自身を求めること、イエス様に似た者へと造り変えられることを追い求めていきたいと願います。
すなわち、今日もイエス様ご自身である御言葉を求めること、御言葉なるお方の御性質(愛、平和、喜び・・・)が私たちの内に満ち溢れるように、御言葉を朗読し、御言葉を愛し、御言葉の中に生きる者となりたいと思います。

物質的にも、蒔いたものを刈り取る原則があるように、私たちが何を蒔くかによって、何の実を結ぶか、刈り取るかが決まってきます。

この地上で与えられている時間を無駄にすることなく、私たちが多くの義の実を結んで主の御前に立つことが出来ますように、パウロが祈った祈りを今日、自分自身の祈りとしていきましょう。

■A:考えてみよう
・自分には義がないことを認めているだろうか。

・家庭で、学校で、職場で、自分は平和をつくる者になっているだろうか。もし、まだ自分の義を握っているなら、今日、主の十字架の前に持って行くことが出来るように、聖霊様の助けを求めて、悔い改め、祈っていきましょう。

そして、「イエス様の血潮を宣言する祈り」の12の宣言文の7番を信仰の宣言として告白して、主の義を受け取り、自分の力や方法に頼るのではなく、御言葉により頼む者として今日一日を歩んでいきましょう。

「イエス様の血潮は罪に定める全てのことから私を弁護し、私に敵対するサタンの訴えを無効化し、今まで一度も罪を犯さなかったかのように私を義と認められます。」

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ささまな 】

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