■S:今日の聖書の言葉
エペソ人への手紙4章13節

★ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。

■O:今日のコラム
エペソ4章は、1-3章で語られてきたキリストにある霊的祝福や血潮による贖い、十字架による神との和解といった救いの恵みが土台となり、私たちが実際的にどのように生きるべきかが示されています。

改めてエペソ4章を熟読すると、大きく2つの対象に向かって語られていることに気付きました。まず1-16節はイエス様のからだである教会に、また17-32節は私たち1人1人に対するものです。その両者が、どのようにしてキリストの召しにふさわしく歩むべきかが示されています。
そして、そのどちらも目的は『キリストの満ち満ちたみたけにまで達する』ことです。

この点を踏まえて『かしらなるキリストに達する歩み』というテーマで2つのポイントを分かち合っていきます。

(1) 教会の歩みでは、御霊の一致を熱心に保つ

まず教会がどのように歩むべきかは以下の御言葉に示されています。

「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、
平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」(エペソ4:2-3)

ここでは御霊の一致が重要であることがわかります。それではなぜ一致を求める必要があるのでしょうか?

それは一致が主のご性質であり、願いだからです。ヨハネ17章11節には「それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。」とあります。主こそ御父・御子・御霊が完全に一致した三位一体なるお方です。そして、そのお方が私たちも一つとなることを願っておられます。それは、一致が愛から生み出されるからです。

それでは、どのようにして一致すれば良いのでしょうか?それは以下の御言葉です。

「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(エペソ4:13)

私たちがキリストの満ち満ちた身たけにまで達するためには、信仰の一致と神の御子に関する知識、すなわち御言葉の一致が大切であることがわかります。

それゆえに私たちが取り組んでいる御言葉の朗読もイエス様の身たけに達する重要な歩みであることを感謝します。またお互いに励まし合いながら礼拝を献げ、信仰の一致が成されることも感謝します。

またエペソ4章11-12節では、キリストのからだを建て上げるためには信仰によって一致しつつ、それぞれの賜物は異なることが示されています。イエス様がご自身が、それぞれを使徒や預言者、伝道者、牧師、教師をお立てになっているからです。

賜物が異なることはイエス様のからだを建て上げる上でとても重要であり、お互いにそれを用いることで御霊の一致が生み出されていきます。

実際の例ですが、自分と妻は賜物が驚くほどに異なります。妻は賛美や楽器の賜物に満ち溢れていますが、私にはそれが全くありません。一方、私にはパコソンや機械操作の賜物がありますが、妻にはありません。ですが、信仰において一致しているので、お互いに尊敬し支え合いながら礼拝を献げられることに心から感謝します。

それゆえに教会において、それぞれの賜物が異なることは主の恵みです。それは信仰が一つとなって賜物を用いる時、御霊の一致が生み出され、イエス様のからだが建て上げられるからです。

主にあってお互いの存在を心から尊び、共にキリストの満ち満ちたみたけにまで達する歩みができることを感謝します。

(2) 1人1人の歩みでは、古い人を脱ぎ捨て新しい人を身に着る

教会に続いて、私たち1人1人の歩みはどうするべきか分かち合います。具体的には以下の御言葉によって示されています。

「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」(エペソ4:22-24)

ここで重要なことは、『古い人を脱ぎ捨てること』と『新しい人を身に着ること』です。

それでは古い人とは何でしょうか?滅びて行くと書いてあることからわかるように、それは世に属する思いや考えであり、罪の行いです。わかりやすく表現するならば、イエス様と異なる性質です。

そして、新しい人とは何でしょうか?神にかたどり造り出されたとあるように、主の似姿です。つまり、イエス様と同じ性質です。
なので、私たちはイエス様と異なる性質は脱ぎ捨てて、イエス様と同じ性質を身に着ることが大切です。

これをわかりやすく説明するために、私自身が変えられた証しを伝えます。

私は21歳の時にイエス様を信じて救われました。なので、21年間は世に属しており、イエス様を信じた後もまだまだ古い人である世の価値観と性質が根強く残っていました。その中でも特に世のお笑いの価値観が私の内に根深くありました。それは、『他人をネタにして笑いを取る』という行動です。

クリスチャンになって、しばらくするとそれが明らかにされました。ある時期、教会の複数人から同時に「あさひさんの言葉で傷付いた」と言われたのです。最初は自分では心当たりが全くなく、一体何のことを言っているのだろうと思いました。しかし、詳しく話を聞いていると1つの共通点があったのです。それは、私が笑いを取るために、その人の欠点や言われたくないことをネタにするという行動でした。

この性質は私の内に深く根ざし、それはもう無意識の領域で行っていました。世に属している時は、これが悪いことだという認識はなく、むしろ周囲はこれを喜んでる状態だったからです。しかし、イエス様と異なる性質であるため、主のからだである教会と相容れずに明らかになりました。そして、以下の御言葉が示されたのです。

「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」(エペソ4:29)

私は自分の言葉が人に役立つものではなく、むしろ恵みを奪い去っていくものであることを認めました。そこから日々悔い改め、聖霊様によって変えて頂くように切に祈ったのです。そして、私の言葉は人に役立つことや恵みを与えるものへと少しずつ変えられていきました。主に感謝します。

このようにキリストの満ち満ちたみたけまで達する歩みには、まず自分の内にいる古い人を見出して脱ぎ捨てることです。そして、イエス様という新しい人を着ることによって変えられることが大切です。

私たちは1人1人がイエス様の似姿に変えられると同時に、教会において御霊の一致によって励まし合い、愛によってイエス様のからだが建て上げられることを追い求めます。そして、かの日には皆で共にイエス様の御元に携え挙げられることを願い祈ります。

■A:考えてみよう
・お互いの賜物が異なることを感謝し、御霊の一致を求めているでしょうか?
・自分の内にある古い人を脱ぎ捨て、イエス様を身に着ているでしょうか?

■P:祈り
主よ、私の内にある世に属する古い人を示してくださることを感謝します。聖霊様によってそれを脱ぎ捨て、イエス様を新しく着ることを願いします。またイエス様のからだである教会で、御霊による一致を熱心に求めます。私たちをイエス様の満ち満ちたみたけまで導いてください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あさひ 】

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