■S:今日の聖書の言葉
ガラテヤ人への手紙2章20節

★私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

■O:今日のコラム
シャナトバー!!!(お祝いの言葉です) 新年おめでとうございます!!ユダヤ暦では新年を迎えます。

新しい年、どのような年を願いますか?自分の健康、繁栄、何か新しいことが起きるように、などなど日本人ならばそう考えることでしょう。

しかし、ユダヤ人は新年が過ぎると10日後には大贖罪日といって、断食をもって悔い改める日が待っているのです。その10日間の間も断食をしたり身を清めたりして大贖罪日に臨みます。なんとも過酷な新年の始まりですね。

しかし、これは恵みではないでしょうか?新年早々悔い改めるとは、新しい関係を意味します。神との関係、人との関係においても赦し合ってから始まる、そういう時なのです。

イスラエルで面白い現場をみました。
大贖罪日を終えたそうそう言い合いをしているユダヤ人たち!笑 この国民はとても面白いなと素直に思った次第です。今までの10日間の断食と涙の悔い改めはすでに過去のものなのだと、、、、感じさせられる時でした。

そうです。私たち人間とはどんなに悔い改めても悔い改めても、すぐに肉の弱さが出るものです。人を赦して、受け入れても、その言葉と行いは全くもって一致することは難しい時が多いと思います。私も少なからずその一人です。
悔い改めをしている最中でも、嫌なことが思い浮かんでまた気分が悪くなったり笑、なかなか赦せない人を思うと自分の言い分を並べ立てるような、そんな時もしょっちゅうです。ですから、私たちは御言葉に基づいて、悔い改め、立ち返る必要があります。

その第一歩が今日の箇所ではないのでしょうか。

『私は、キリストとともに十字架につけられたもの!!』(声を大にして 宣言しなければ!!)

なぜ自分の義が、自分の弱さが出てくるのでしょうか?自分が生きているからです。答えは簡単です。自分が生きているので、キリストが死んでしまっている。キリストが生きるためにはまず自分に死ななければならない。鉄則ですね。

私たちは日々悔い改めましょう。自分が生きていることを。

しかし、聖書はここで終わっていないのです。パウロは私たちがなおも肉の身体で生きている希望を次のように書いています。

「いま私が肉にあっていきているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

詳訳聖書はには次のように書かれてあります。
ー私を愛して私のためにご自身を与えてくださった神の御子を信じる信仰〈彼に対するよりすがり、まったき信頼〉によって生きている生活ー

私を愛してくださって、命までも与えてくださったイエス様によりすがって生きていけるなんてどれだけ幸せなことなのでしょう。その信仰によって生きれるのはどんなに素晴らしいことなのでしょう。

それなので、自分に死ぬことが可能になるのだと思います。十字架に自分を委ねることも自分の力でも努力でも到底できないことです。ただただイエス様の一方的な、初めの愛が私たちを十字架の道へと向かわせるのです。

新年が始まる今日、私たちはもう一度イエス様の愛、十字架の死、赦しと解放を主の愛のうちに受け取りたいと思います。

■A:考えてみよう
私たちは毎日が決断と決心の日々です。
毎日十字架の愛に立ち返ることができますように。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あはごん 】

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