■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙第二2章4節
★兵役についていながら、日常生活のことに掛かり合っている者はだれもありません。それは徴募した者を喜ばせるためです。
■O:今日のコラム
聖書は、主と私たちの関係を、さまざまな形で表現しています。
父と子、主人と下僕、御子キリストとその花嫁なる教会、長子たるキリストとその兄弟なる私たち、友なるイエス、頭なるキリストとその肢体、羊飼いと羊、陶器師と土の器、、、そのひとつひとつが真理であり、無限なる創造主と、被造物である私たちとの関係は、到底ひと言では言い表すことのできないものでありましょう。
さて、今朝の御言葉によれば、私たちは主の軍隊に兵士として召された者であり、主は兵を募った司令官であります。口語訳では、こう訳されています。
「兵役に服している者は、日常生活の事に煩わされてはいない。ただ、兵を募った司令官を喜ばせようと努める。」(2テモテ2:4)
兵士は「食べてゆけるだろうか?」などと心配しません。任務を遂行することだけに集中します。すなわち「ただ、兵を募った司令官を喜ばせようと努める」のです。
「いったい自分の費用で兵士になる者がいるでしょうか。」(1コリント9:7a)
当時の兵士は傭兵であり、小作人や日雇い労働者よりも高い報酬でした。当然です。なぜならその任務には命がかかっていたからです。軍隊とは戦争のための組織であり、兵士は敵を倒すか、自分が倒されるか、という極限状態で任務を遂行します。まさに命がけです。
もちろん、主の兵士は、この世の軍隊とは目的が異なります。けれども、それに譬えられている意味があります。
(1)ただ、主を喜ばせようと努める。
(2)必要は主が満たして下さる。
悪魔はさまざまな手を使って私たちに脅しをかけてきます。昔のクリスチャン女性は「耶蘇になったら(クリスチャンになったら)結婚できない」と言われたそうです。男性は職場で恐れが来ることがあります。孫引きで恐縮ですが、下記はクリスチャン新聞の記事(1996年10月20日)です。
「ある新入社員が、初めが肝心とばかりに自分の上司に言った。『ボクはクリスチャンですので、日曜日は出勤できません。水曜日は祈り会がありますので残業できません。社員旅行も教会の行事と重なる時には参加できません。それから酒の席には一切出席しません。』
上司が彼に言った。『キミの主義主張はよく分かった。ところでキミには、クリスチャンだからできることってないのかね。』」(「クリスチャンの職業選択」山崎龍一著/いのちのことば社 P.33)
この記事の内容について論じることはしません。「それは通らんだろう」というご意見もあるでしょう。ただ私は、彼の気持ちが痛いほど分かります。私も入社したての頃は不安でした。妥協してしまったことも何度もあります。でも、何度つまずいても、悔い改めて主を見上げる時、必ず主は、再び立ち上がる力を与えて下さいました。
受験、就職、結婚、子育て、親の介護、老後の生活、、、私たちが生きてゆく上では、人生のステージごとに、様々な必要が生じます。たとえば、ごく若い頃、私の関心事は、どんな学校に入れるだろうか、どんな会社に就職できるだろうか、あるいは、どんな人と結婚できるだろうか、、、そういうことでありました。その一方で、お金については殆ど無頓着でした。ですが、本当にお金が要る時がきます。一昨年、私の3人の息子娘たちは大学生でした。長女は昨年就職しましたが、今も下の双子は大学生です。勿論、親として感謝であることは間違いありません。ですが、それでも心が常にお金のことで、とらわれがちになることは、否定しようがありません。
ですから、私は毎日、主の祈りを祈りながら、「日ごとの糧を今日もお与えください。私は、すべての必要を、主よ、あなたの手からだけ受け取ります。悪魔の手からは受けません」と宣言し、自分の魂に教えます。
悪魔は目の前の必要をチラつかせて私たちを不安にさせ、目を奪おうとします。日常生活のことで汲々とさせようとします。けれども、私たちは、主の兵士として召された者たちです。主の心をこの地に成し遂げるために、ひとりひとり、使命が与えられています。今日ひと日、主の使命を全うすることができますように、そのことに集中してゆきましょう。私たちの必要は主ご自身が満たして下さいます。
■A:考えてみよう
今、もし心に思い煩いがあるのなら、正直に、主に申し上げましょう。誰しも、不安や恐れが襲ってくるときがあります。それは他者には理解できないかも知れません。けれども、主に求めるとき、必ず主は応えて下さいます。御言葉の約束を握って祈り続けましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 よしかず 】
オンライン献金はこちらから。
大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。
よしかず様
主の御名を賛美します。
あなたの思い煩いを一切神に委ねよ。神はあなたのことを心配して下さる(第一ペテロ5:7)。
他人には言えても、自分ではなかなか出来なかったことが多いみことばでした。
しかし、見える現実ではなく、主イエスキリストを見上げて一歩踏み出すとき、不思議な助けを頂いたことが何度もありました。
主は今も生きておられると信じます。
本日のメッセージを感謝します。