■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙 第一13章5節
★あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか。──あなたがたがそれに不適格であれば別です。──
■O:今日のコラム
先日、中二の娘に数学の連立方程式を教えていました。さて、みなさん、下記の問題は解けますか?
「ある2数の和は27で、小さい方の数の2倍から大きい方の数を引くと3になる。この2数を求めよ。」
小さい数をx、大きい数をyとすると、x+y=27、2x-y=3という連立方程式ができます。これを解くと、答えはx=10、y=17となります。
この時点で「やったー!解けた!」と言ってこの解をそのまま解答欄に記入したなら、減点されてしまいます。回答は正解なのに、なぜダメなのでしょうか?次の一文が必要なのです。
「この解は問題にあっている」
いわゆる、解の吟味というものです。回答を問題に照らし合わせ、その数が本当にあっているかどうかを確かめます。
このこと自体は一見本当に無駄な作業に見えますが、私たちキリスト者にとってはとても大事なトピックになります。
パウロは二回に渡るコリントへの手紙の締めくくりにこのことを書いています。これはパウロがコリントの教会を単に責めているのではなく、今までの訪問や手紙などで関係を築いたうえで書かれている、愛から来るパウロのチャレンジです。
今日の聖書の個所を様々な訳で比較してみましょう。
<口語訳>
「あなたがたは、はたして信仰があるかどうか、自分を反省し、自分を吟味するがよい。それとも、イエス・キリストがあなたがたのうちにおられることを、悟らないのか。もし悟らなければ、あなたがたは、にせものとして見捨てられる。」
<塚本訳>
「あなた達は(わたし達の使徒たる証拠を求めるより、)自分に信仰があるかどうか、自分自身を吟味し、自分自身をしらべてみよ。あるいは、もう(自分に信仰があって)イエス・キリスト(の霊)が自分の中におられることが、わかっていないのではないか。それではあなた達(の信仰)は明らかにまがい物なのだ!」
<前田訳>
「あなた方が信仰に生きているかどうか、自らをためし、自らをお調べなさい。イエス・キリストがあなた方のうちにいますことをご存じないのですか。それはあなた方が不適格でない限りのことですけれども。」
<新共同訳>
「信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが。あなたがたが失格者なら別ですが……。」
<リビングバイブル訳>
「よくよく自分を吟味しなさい。ほんとうにクリスチャンだと言えますか。クリスチャンとしてのテストに合格していますか。自分の内に住まれるキリストと、そのあふれる力とを、いよいよ強く実感していますか。」
<詳訳聖書>
「あなたがたは自分自身、信仰を持っているかどうか<信仰にふさわしい実を示しているかどうか>、調べ<ためし、評価し>なさい。〔キリストではなくて〕あなたがた自身を調べ<吟味>しなさい。もしあなたが試験されて認められない<拒否される>〔にせもの〕でないのなら、あなたがたのうちにイエス・キリストがおられることを、自分自身で〔絶えず増し加わる経験によって徹底的に〕実感して<知って>いないのです。
どうでしょうか。いつも読んでいる新改訳聖書だけでは見えてこない意味合いが浮かび上がってきたのではないでしょうか。
新改訳聖書の中で使われている「ためし」という言葉は人や物の中にある善悪を検出するもので、主に悪を明らかにすることが主として使われる言葉です。
続く「吟味」は、人や物の中にある善いものだけを明らかにすることに用いられます。
ここから言えることは、神様もサタンも「ためす、試みる」ことはできますが、悪魔は吟味することができないということです。
さあ、皆さんならこれらの翻訳の違いから、何を受け取りますか?次に進む前にご自分で考えてみてください。
■A:考えてみよう
あなたは本当にイエス様を信じていますか?信じ切っていますか?
あなたの中にキリストの信仰はありますか?
私は毎日、自分にこのことを問うています。みことばを朗読し、祈り、「主よ、私の中に信仰はありますか?私はすべての領域であなたにより頼んでいるでしょうか?」と伺っています。
もちろん、このマナメールを読んでおられる方はイエス様を信じています。しかし、それは自分の中の信仰では正解かもしれませんが、神様にとっては不正解かもしれません。
イエス様を信じた後も、解の吟味が必要です。一度信じて終わりではなく、毎日自分は神様のみこころから外れていないかを吟味する必要があります。
その作業は誰からも評価されず、地味で忍耐が必要です。しかし、忠実にこれを続けるなら、その時が来たら、神様はこのように言ってくださるでしょう。
「主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」(マタイの福音書25:21)
■P:祈り
今日も私を愛してくださる天のお父さん、私に信仰を与えてくださっていることを感謝します。この信仰は大小にかかわらず、完全な信仰となることができますように。どんな困難がやってきても、人々から称賛されることがあってもこの信仰を失うことがないよう、私をあわれんでください。
今日の私の信仰はあなたの御心にかなっているでしょうか。あなたから離れていないでしょうか。私の不思議な助言者なる聖霊様、私を今日も真理へと導いてください。
一度の信仰で満足することなく、毎日、瞬間瞬間主に伺い、歩んでいくことができますように。自分勝手な信仰を持ったままでいることがないよう、今日もみことばの真理をもって私を永遠のいのちへと導いてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【 しゅん 】
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アーメン