■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第二9章15節
★ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。
■O:今日のコラム
第二コリント8~9章は「献金」についての教えが書いてあります。たくさん学ぶことがある中で、一番最後の節に目が留まりました。リビングバイブル訳で見てみると、次のように書いてあります。
「神様のひとり息子という、言い表せないほどすばらしい神様の贈り物を感謝します。」(2コリント9:15 JCB)
私たちに何かを捧げる機会が与えられているとき、知るべきことがあります。それは、私たちが捧げる前にまず、神様がすべてを捧げてくださったということです。
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(1ヨハネ4:10)
最近、祈りの時間、また日々の生活の中で「十字架を黙想し、十字架の前にでる時間」を大切にするように聖霊様が導いてくださることを感じています。そこでは、自分を大きく見せる必要もなければ、また何かを隠すこともできません。十字架の光に照らされて、ありのままの自分の姿が明らかにされます。
自分は何も持っていないものであること、捧げる愛さえ持っていない自己中心な罪人であることを、十字架の前で認めます。そして、こんな自分を死に至るまでも愛してくださった、圧倒的なイエス様の愛に包まれます。
鞭で打たれて、血だらけのイエス様。手足を釘で打たれて、身動きの取れないイエス様。心臓が破裂するほどの愛を、十字架で示してくださったイエス様。
このお方の愛は今日も変わることがなく、人知を遥かに超える愛なので知り尽くせず、理解し尽くせず、永遠をかけても味わい尽くすことができない愛です。
「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」(エペソ3:19)
イエス様の血潮が流され、代価を持って買い取られた私たちは、神様のものとされました。「神様に捧げたい」という願いも、捧げるものも、また捧げる力さえも、すべて神様がくださるものであることを感謝します。
すべてを持っておられるお方に捧げることができる、この恵みは、イエス様の十字架の贖いのゆえです。
今日、自分自身を主に捧げることを超えて、先にすべてを捧げてくださったイエス様の十字架を思い巡らす時間、感謝する時間を持ちましょう。
「すると彼らに言われた。『では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。』」(ルカ20:25)
また、与えられている生活も、経済も、命も、すべてが神様の恵みにより与えられているものです。すべては神様のものです。
「完全な愛(アガペ)」で愛してくださる、主と同じ完全な愛を持って答えることは難しいですが、ペテロがイエス様に告白した「私にできる愛(フィレオ)」で、今日も心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主を愛したいと願います。
ことばに表せないほどの主の愛に応えて、今日も心からの礼拝と、私自身、私の持てる最良の良きものを神様にお返ししましょう。
「イエスは三度ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。』ペテロは、イエスが三度『あなたはわたしを愛しますか』と言われたので、心を痛めてイエスに言った。『主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。』イエスは彼に言われた。『わたしの羊を飼いなさい。」(ヨハネ21:17)
■A:考えてみよう
下記の御言葉を朗読し、黙想しましょう。御言葉に基づいた信仰が、今日一日、私たちの心と思いを満たしますように。
「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」(1ヨハネ4:19)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 こばあい 】
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