■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙 第二 8章14節

★今あなたがたの余裕が彼らの欠乏を補うなら、彼らの余裕もまた、あなたがたの欠乏を補うことになるのです。こうして、平等になるのです。

■O:今日のコラム
今日の聖書箇所に出てくる「欠乏」と「余裕」という言葉を辞書で調べると、次のように書いてありました。

欠乏:必要な物が足りないこと。
余裕:必要分以上に余りがあること。また、限度いっぱいまでには余りがあること。ゆったりと落ち着いていること。心にゆとりがあること。

私たちは、自分の必要が満たされていて気持ちに余裕のある時もあれば、不足を感じていて余裕がない時もあります。余裕がある時は人に気配りが出来ますが、余裕がない不足のあるように感じる時は自分のことで精一杯になってしまうと思います。

第3礼拝のメッセージの中で何度も「とりなし」の重要さが語られていますが、とりなしは「余裕」と「欠乏」を補い合うことです。

「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」(ガラテヤ6:2)

身近な人であればあるほど、その人の弱さや足りなさが見えることがあります。ここを改善したら良いのにな、今の苦しい状態はあの罪ゆえじゃないのか?…色々と目についたり、指摘したくなることがあります。時にそれらを指摘することで認識させ、改善へと手助けすることは必要でしょう。

ですが、イエス様は姦淫の女が連れて来られた時、罪に定めることをしませんでした。これはイエス様の性質の一つです。(ヨハネの福音書8章前半参照)
イエス様のように罪に定めることはしないで、むしろその人の弱さを負ってその人のために祈ること。私たちもその人の欠乏を補い合うことを選んで生きたいと願います。

祈ってもらい、祈ってあげる、互いにとりなし合う関係こそが、互いに愛し合うという第二の戒めのスタートであると思います。愛が冷えていく時代だからこそ、私たちは祈り合って信仰に固く立ち、励まし合って歩んで行くことができますように!

■A:考えてみよう
自分が欠乏している時、とりなし祈ってもらえることは大きな励ましと力になります。そういうコミュニティーに属することもはとても大切です。

*人の欠乏を補い合う、とりなし祈ることを継続して続けていきましょう。
*お互いに祈り合う、とりなし合えるコミュニティーの中に身を置きましょう。

■P:祈り

愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まなくぼ 】

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