■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第二7章10節
★神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
■O:今日のコラム
現代においては「繁栄の福音」が多く語られています。「イエス様を信じたら健康も、経済も、家庭も、仕事も全てが祝福される。」という福音です。もちろんこれは偽りではありません。「救い(ギリシャ語でソーゾー)」という言葉の中には魂だけではなく、健康、経済、私たちの人生に関わる全領域に対する救いが含まれており、十字架の贖いの中に全ての回復があるからです。
しかし「繁栄の福音」だけを握ることの弱点は、苦難に絶え抜く力がなくなり、信仰生活がこの世の宗教と同じように御利益的な信仰に向かってしまうことにあります。人生に良いことがある時にはイエス様を信じますが、様々な問題や困難が起こるとすぐに主を疑い、つぶやき不満を言い、礼拝、教会、信仰生活から離れてしまうのです。
初代教会においては様々な試練や困難や迫害がありましたが、彼らはその試練を耐え抜く信仰を持っていました。それはパウロを始め、多くの使徒たちが書簡に記しているように、初代教会の聖徒たちは「キリストと苦難を共にする」という福音を信じていたので、彼らは試練を耐え抜き、痛みや悲しみの中にも主の豊かな恵みを見出すことが出来たのでした。
「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」(ローマ人への手紙8章17節)
「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれること(*恵み カリス)です。」(第一ペテロ2章19節)
(*原文では「それは喜ばれることです。」は「それは恵みです。」と記されています。)
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。」(ヤコブの手紙1章2~3節)
この他にも多くの箇所で使徒たちは悲しみ、試練、困難、痛みがもたらす豊かな霊的祝福を述べています。
上記の第二コリント7章10節には「世の悲しみは死をもたらします。」とあります。イスカリオテ・ユダは世の悲しみを抱き死に至った典型的な人物です。彼は主を売ったことを後悔し、悲しみましたが、自害して滅びへと向かいました。
主を裏切ったことはペテロも同じでした。彼は三度も主イエスを「知らない。」と否定し、三度目にはのろいまでかけて「主を知らない。」と完全否定しました。その故に彼はプライドが砕かれ、大声をあげて泣き、悲しみましたが、悔い改めて主イエスに立ち返り、後にさらに深い人格と霊性を持った使徒として用いられたのでした。「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせます。」と記されている通りです。
私たちも信仰生活の中で様々な試練、葛藤、困難を経験し、自分の弱さや、足りなさや、罪深さに直面することがあるものです。それら全てを主から離れる理由にするのではなく、ますます深く悔い改めて主に立ち返り、主を見上げ、切に主を求める動機付けにしようではありませんか。多く赦された者は多く主を愛するようになります。
■A:考えてみよう
日々、悔い改めの祈りをして、自分自身を見ることから主を見ることへと信仰の歩みを方向転換しましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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