S:今日の聖書の言葉
イザヤ書30章18節

★それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。

■O:今日のコラム
イザヤ書全体を通して、「神の裁きと神の回復」を見ることができます。

よく、「愛情の反対は憎しみではなく、無関心である。」と聞きます。
もし、主がイスラエルの民をご自分の民として愛しておられなければ、主はイスラエルがどれほど神から離れてしまったとしても、放っておかれたでしょう。神はご自分の民イスラエルを愛しておられるからこそ、苦難を与え、主に立ち返るチャンスを与えておられます。

主は、ご自分の民が御心からそれて神に背く時、なんとかご自身に立ち返らせようと、敵からの攻撃を用いてさえも神の民を揺り動かされます。

今日の箇所、イザヤ30章は神の「ああ。」という嘆きの声で始まります。

 

「ああ。反逆の子ら。
  --主の御告げ--
彼らははかりごとをめぐらすが、わたしによらず、
同盟を結ぶが、わたしの霊によらず、
罪に罪を増し加えるばかりだ。」(イザヤ30:1)

神の民、南王国ユダは神が送られた警告と苦難に対して、神に立ち返って神の哀れみにより頼む代わりに、エジプトと同盟を結び、パロを頼りました。神はそんな民を「反逆の子」と嘆いておられます。

イザヤ書を読む時に、「主は恐ろしい方。」という思いだけで読むならば、主の裁きばかりが目についてしまうかも知れません。けれども、詩篇の作者はこう言っています。

「主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。」(詩篇86:5)

主は、慈しみ深く、赦しに富んだお方です。イザヤ書の中にあるメッセージ、それは「主の目的は裁くことではなく、主の目的は、裁きを通して最終的には神の民を永遠に主のもとに回復することである」ということです。

ピレモンへの手紙の中で、パウロはしもべオネシモのことについて、以下のように語りましたが、これが主のなされる愛の回復の方法ではないかと思います。

「彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。」(ピレモン15節)

神は一時的な裁きをもたらされますが、それをもって永遠に神の民をご自身のもとへと取り戻そうとしておられます。

今日の聖句にあるように、主は哀れみを与えたいと待っておられます。それはまるで、放蕩息子の父が朝早くまだ暗いうちから、息子の帰りを今か今かと待っておられる姿です。

天の父は、いつでも、その哀れみと赦しに富んだ御腕の中に我が子を抱こうと待っておられるお方です。私たちは、苦難が来ると、主の御手が動くまで待たされているような気持ちになりますが、実は、帰らなくてはならないのは、私たちの方なのです。

ユダの民がエジプトに頼ったように、私たちは肉の力、自分の方法に走るのではなく、絶えず神の御心へと立ち返りたいと願います。

■A:考えてみよう
試練が来る時、それはまた一歩、神に引き寄せられる回復への道のりであることを覚えましょう。神が私たちを「永久に取り戻す」ためであることを覚えましょう。

「『わたしはほんのしばらくの間、あなたを見捨てたが、大きなあわれみをもって、あなたを集める。
怒りがあふれて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ』とあなたを贖う主は仰せられる。」(イザヤ54:7,8)

神がイザヤを通して語られた預言は、旧約時代の神の民に対してだけのものではありません。終末の時代を生きる神の民、私たちに対してのメッセージでもあります。そのことをふまえて、イザヤ書の中から、神からの警告と戒め、また愛の回復の御約束を受け取っていきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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