■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第二5章17節

★だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

■O:今日のコラム
「新しい」を辞典で調べると、「以前のものと違っている」「新鮮である」「生き生きとしている」と書かれていました。逆に、古いとは「その状態になってから長い年月が経過している。」「時代遅れ」「新鮮でない」などと書かれていました。
イエス様との関係において、古く以前のままでなく、いつもフレッシュな、生き生きとした関係であり続けたいと願います。

私たちの内なる人、霊を新しくするものはなんでしょう。それは、イエス様のいのちです。日々新たにされていくためには「キリストのうちに」とどまらなければいけません。私たちがぶどうの木なるイエス様のうちにとどまるなら、絶え間なくイエス様のいのちが私たちのうちに流れ、枝である私たちは絶えず新しくされ、生き生きと新鮮さを保つことができます。

ぶどうの木なるイエス様のうちにとどまり、主をさらに深く知り、主を愛し、主の御顔を求める生き方へと変えられていきますように。

また、「とどまる」というと何もせずじっとしている…というようなイメージがありますが、とどまることは決して受け身の行動ではありません。全ての働きの原動力であり、主の中にどどまる時に、私たちは主の弟子として生きる者へと変えられていきます。

以前、集会において奉仕を依頼された時、それが自分の苦手分野だったので、すぐに「やりたくない」という思いがやってきました。100%お断りしようと思ったのですが、祈りの家で祈ってから返事をすることにしました。(いつも、大切な決断は、臨在の中に身を置いてからするようにしています。なぜなら、自分の思いは主の道といつも真逆だからです。)
結局、その祈りの中で、「やりたくない」という肉の思いから、「あなたに従います」という従順な思いへと変えられ、引き受けることとなりました。

イエス様こそ、ぶどうの木にとどまる生き方をされたお方です。
イエス様はいつも祈りの場に行かれ、御父との交わりを優先されました。イエス様のすべてのことばと働きはその交わりから生まれたのです。

イエス様が十字架の死にまでも従い、父なる神様の御心に最後まで従い通された、その原動力は、絶えずぶどうの木にとどまり続ける生き方にありました。イエス様がそうであったように、私も主の中にとどまり、主の弟子として最後まで主に従っていく者でありたいと願います。

「また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」(2コリント5:15)

新しく造られた者、それは、もはや自分のためではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きる者です。
日々ぶどうの木なるイエス様にとどまり続けましょう。

■A:考えてみよう
主との親しい交わりから来る安息と平安と喜びにまさるものはこの世にはありません。また、イエス様のいのちが私たちのうちに溢れ、神様の御心が私たちの人生を通して成し遂げられていくこと以上に大きな喜びはありません。

であるならば、今日、主が私たちに一番に願っていることは何でしょうか。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひさえ 】

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