■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第二2章15節
★私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。
■O:今日のコラム
突然ですが、皆さんは普段フレグランス製品を使われますでしょうか。インターネットのある記事を読んだところ、現代は「香りの時代」とも言われているようです。
私事になりますが、最近引っ越したのですが、お部屋を良い香りで満たすために、まずは脱臭をして、その後フレグランス製品を置き、また出勤するときなども洋服にスプレーなどをするようになり、爽やかな気持ちで過ごしています。香りは大事だと感じる最近です。
今日の箇所はまさに香りについて書かれている箇所になりますが、私たちキリストの道を行く者が持つべきかおりについてパウロが語っています。
「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。」(2コリント2:14)
皆さんはキリストのかおりというとどのようなイメージをお持ちでしょうか。爽やかな良い香り、心地のよい香り、、、など頭に浮かぶのではないでしょうか。私もこれまでキリストのかおりという言葉を抽象的なイメージでとらえていましたが、聖書を読むと、はっきりとそこには御言葉がかおりであることが書かれています。驚きと同時にまた一つ目が開かれました。
上の御言葉に書かれている「キリストを知る知識のかおり」は別訳をみると、「キリストの知識のかおり」と書いてありました。つまり、イエス様の御口から出る霊であり命であるその御言葉のかおりを私たちは解き放つように召されています。
ですからキリストにつく者のかおりは、御言葉です。神様は私たちを通してこのかおりを解き放とうとしておられます。
「私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。」(2コリント2:17)
そして神の御言葉に混ぜ物をして売るようなことをしない者こそが、キリストのかおりを解き放つのにふさわしい者であるとパウロは言っています。
この「御言葉に混ぜ物をして売るようなこと」というのは、原語をみると、「自分の利益や自分が欲しいもののために、御言葉を利用する」とも書かれていました。一見、敬虔で信仰に満ち、素晴らしい啓示を語っているように見えても、御言葉が本来の意味していることではなく、自分の考えや自分の言動を肯定するための理由付けとして御言葉を食べてしまっている(解釈する)ことがあると思います。
ですから私たちは御言葉を御言葉としてまずは受け取り、本当に聖霊様を求めて御言葉の本質を教えていただくことを願い求めていくべきではないでしょうか。そして聖霊様を通して受け取った神の御言葉が私たちの内に刻まれ、その御言葉を行うことで、キリストのかおりが解き放たれていくことを信じます。
「また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」(エペソ5:2)
また、上の御言葉にも書かれているとおり、イエス様が神様の御前に香ばしいかおりとなってご自身を捧げられたように、私たちも自分に死んで御言葉と一つとなるとき、神様の前には香ばしいかおりとなることを感謝します。
私たちのそれぞれの歩みと生活の中で、今日も御言葉を内側に蓄え、イエス様と聖霊様にあって御言葉を悟らせていただき、御言葉を行ってキリストのかおりを解き放っていきましょう。
■A:考えてみよう
・キリストのかおりとは何でしょうか。
・キリストのかおりを解き放つなのにふさわしい者は誰でしょうか。
■P:祈り
愛する御言葉なるイエス様、あなたの愛と恵みを今日も受け取り感謝します。御言葉が与えられていることは本当に大きな恵みです。しかし、この御言葉を自己肯定や自分に都合の良いように受け取っていたことを赦してください。
あなたの御言葉を混ぜ物とせず、あなたが言われることを受け取ることができるように聖霊様助けてください。
あなたが教えてくださることが私のうちに刻まれていき、その御言葉を行うことを通して、キリストのかおりを解き放つことができますように。
そのような務めに召してくださっていることを感謝いたします。あなたの恵みによってそのように私を進まさせてくださることを信じます。
愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 たくみ 】
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