■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第二 1章 4節
★神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
■O:今日のコラム
新約聖書の手紙の多くは、一つのテーマに沿って書かれています。ある一つの大きな話の軸があり、トピックごとに話を少し蛇行させながら進められていきます。
今日から通読が始まる第二コリントも、同じようにあるテーマに沿って書かれています。そのテーマとは「イエスと共に死に、イエスと共に生きる」です。
イエスと共に死に、イエスと共に生きることを語る上で、パウロがまず前提としたことは、神は慰めの神であるということです。
「イエス様と共に死ぬ」ということは、自分を捨てるということです。神の御子であるイエス様が自ら王座を降りられ、ご自分を死に渡されたように、私たちも神の御心に従って自分を王座から降ろし、自分を死に渡す必要があります。
「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。」(ルカ9:23-24)
主は、私たちをキリストの苦難、すなわち十字架を負ってイエス様についていく道にあずからせてくださいます。その苦難に耐え抜くためにはキリストによる慰めが必要です。
「もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。」(2コリント1:6)
キリストの苦難の中で、私たちは自分ではなく神により頼み、神が救ってくださるという希望を持つことができる者へと造り変えられていくことを感謝します。
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。」(2コリント4:16-17)
■A:考えてみよう
苦しみの中にあるときに、主の慰めを求めましょう。神は何をもって私たちを慰めてくださるのでしょうか。
■P:祈り
愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 けいしろう 】
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