■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書24章50~51節

★それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。

■O:今日のコラム
上記のルカの福音書24章50~52節を読んで何か疑問に思うことはないでしょうか。それはベタニヤから主イエスが天に戻られたということです。

ルカの福音書と使徒の働きを記したのは同じルカです。そのルカが使徒の働き1章では主イエスがオリーブ山から天に戻られる姿を記しています。では聖書に矛盾があるのでしょうか。そうではありません。聖書には目的と啓示と意図があり、あえてそう記しているのです。

主イエスがオリーブ山に戻って来られることは旧約聖書のゼカリヤ書をはじめ、多くの預言者たちの預言を通して明らかなことです。私がイスラエルに旅をする際、オリーブ山にある預言者の墓にしばしば訪問します。そこにはゼカリヤ、ハガイ、マラキをはじめ彼らの弟子の約40名近くの預言者たちの墓が同じほら穴の中に設けられています。彼らの墓はオリーブ山からエルサレムの神殿に向かって掘られています。

なぜそのような形で墓が設けられているのかというと、彼らが幻の中で主イエスの再臨について見たからであり、再臨の主イエスがオリーブ山に立たれた時、彼らもすぐに復活して主イエスと共にエルサレムに入城する。という願いを持ってその墓が作られているのです。

使徒の働きの中では、はっきりと主がオリーブ山に戻って来られることが御使いの口を通して告げられています。

「そして、こう言った。『ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。』そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。」(使徒の働き1章11節~12節)

主イエスがオリーブ山から天に戻られ、またオリーブ山に戻って来られることは明らかな事実ですが、ではなぜルカはルカの福音書の最後に主イエスがベタニヤから天に戻られる姿をあえて記したのでしょうか。ベタニヤはオリーブ山からは遠くない場所にありますが、それは明確に違う場所です。ではこのことは明確な意図を持って記されています。それは主イエスがこの地に二度戻って来られることの啓示です。

一度目は、ひっそりとベタニヤに帰って来られます。ベタニヤは主イエスが心から愛され、度々訪問されたマリヤの家がありました。マリヤはキリストの花嫁の代表的な姿を持った人物です。彼女は主の御声に聞き入り、主の側にいることを一番の喜びとした人物でした。

主イエスは度々マリヤの信仰の姿勢を評価し、主イエスが十字架に向かわれる前に、主イエスの頭に花嫁料として生涯かけて蓄え続けた香油を注いだことに対しては、他の弟子たちの叱責からマリヤを守り、「福音が語られるところでは彼女のしたことも記念として語られる。」と言われ、なんとマリヤの行動を福音とセットにしてしまう程にマリヤを評価したのでした。マリヤは自分の人生全てをかけて主イエスを慕い求めるキリストの花嫁の姿です。

「ベタニヤ」とは「悩みの家、貧困の家」という意味であり、マリヤとは「苦い水」という意味です。つまり「ベタニヤのマリヤ」とは最悪な名前であり「悩み、貧困の家に住む苦い水」という意味になるのです。しかし、そのような痛み、苦しみ、貧しさ、苦味の中にあっても彼女は主イエスに希望を見出し、自分の人生全てをかけて主イエスを一心に追い求め続けたのでした。

私たちもこの世においては、痛み、嘆き、弱さ、苦しみ、あらゆる不足と貧しさを経験します。しかし、その中においても主イエスを追い求め、主イエスを待ち望む人々のところに主イエスは戻って来られるのです。別の言葉で言うなら心貧しく、飢え渇き、へりくだったキリストの花嫁を迎えに花婿なる主イエスは来られるのです。これが「携挙」です。

そして二度目には全世界の人々がはっきりと見える形でオリーブ山に王であり裁き主として戻って来られます。これが「再臨」です。もしここまでの記事を読んでこのことに疑問を持たれるならそれはとても素晴らしいことです。ぜひ自ら聖書を読んでその答えを主に求めてみて下さい。このルカの福音書24章で主イエスは、幾度も御言葉を通して弟子たちにご自身のことを啓示されました。

エマオの途上にあった二人の弟子は「ふたりの目はさえぎられていて」(ルカ24章16節)と記されています。これは「大きな力により目がさえぎられ支配されていた。」という意味があります。私たちも聖書を読む時、大きな力が私たちの目をさえぎり御言葉の真理を見えなくさせるのです。それなので日々、知恵と啓示の御霊が臨まれ、心の目がはっきりと見えるようになることを祈り求めましょう。

■A:考えてみよう
ルカの福音書24章全体を朗読し、私たちの内にもベタニヤつまり心の貧しさと飢え渇きが与えられ、今日も御霊なる主を通してキリストの花嫁として整えられることを求めて祈りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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