■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第二3章16〜18節

★しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

■O:今日のコラム
私たちは、まだまだ知らなければならないほどのことも知ってはいません。御言葉を悟れず、盲目な部分をたくさん抱えています。

しかし、御霊なる主により力が与えられ、神を愛し仕えることができる自由を与えられて歩むことができることを感謝いたします。

そうして主の栄光を悟る力が与えられ、自分自身が受け取るべき栄光にあずかり、栄光から栄光に造り替えられ続けていくことを感謝いたします。そしてその栄光の冠を主にお返しして神を褒め称えることができることを感謝いたします。ハレルヤ!

それらは本当に素晴らしいことですが、その根っこには「人が主に向く」ことが求められています。これは違う方向を向いていた私たちが主の方向に向き直ることであり、悔い改めです。

人が主に向くということは、その人が主を見るように向き直ることですが「目」は聖書では願望を表すことがあります。私たちの目は欲している物を見ようとします。

中学時代に友達の部屋には、ある芸能人のポスターが貼ってありました。なぜなら、その人が大好きだからです。だからずっと見ていたいのです。お洒落が好きな人は、ファッション紙に目を通し、道ゆく人の服装をしげしげと見ていることがあります。お洒落が好きだからです。

私たちの心が主を求める心となることが「人が主に向くなら」の本質であるということもできます。悔い改めるたびに主を愛する情熱は増し加わっていくのが正常な悔い改めです。多く赦された者は多く愛するようになるのですから。

■A:考えてみよう
キリストが目的でしょうか?私たちの願いでしょうか?私たちの目は何を欲しているでしょうか?世的な自分の願望を果たすことでしょうか?それとも主を愛することでしょうか?

■P:祈り
主よ。あなたを愛することを第一とします。私の頭の中があなたを愛すること以外のことで一杯になってしまうことを悔い改めます。自分の肉の欲を見つめる目は十字架にはりつけにされました。不安や恐れを見つめる生き方もしません。そのような目も十字架にはりつけにされました。あなたが私の中に生き、あなたと共に歩み、あなたに至るようになることを信じ、主を見つめます。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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