■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書21章4節

★みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。

■O:今日のコラム
主にすべてささげる歩みをすることは、私たちが主の弟子として歩むために、またキリストの花嫁として整えられるために重要な歩みの一つです。

今日の箇所で出てくるレプタ銅貨2つをささげた貧しいやもめは、聖書の中で出てくる「主にすべてをささげた人」の一人です。

レプタ銅貨とは、当時で最小単位の硬貨で、一番小さい金額のお金でした。現在の日本円の価値に換算すると正確にどれくらいかは分かりませんが、レプタは1デナリの128分の1なので、現在の日本の1日の賃金が1万として考えるならば、だいたい78円くらいではないかと考えることができます。この貧しいやもめが捧げたのはレプタ銅貨2つなので、だいたい現在の日本で考えると156円くらいであったかもしれません。

他の人と比べても、とても小さな金額であったと思いますが、私たちがささげるものの「大きさ」ではなく、私たちの心、主への愛、献身、犠牲を見ておられる主は、この貧しいやもめは、どの人よりもたくさんささげたと評価しました。

貧しく大変な状況の中で、持っているお金すべてささげるということは難しいことではないかと思いますが、それでもこの貧しいやもめが主に生活費の全部をささげることができたのは、「主を愛する心」を持ち、自分の心や人生のすべての領域において「主を主としていた」からなのではないかと思います。

すべてを主にささげる心というのは、主だけを求める心、主ご自身を受ける分、報いとすることです。そして、その「すべてをささげる心」を持つには、人知をはるかに超えた主の愛を受け取り続けることが必要です。主の愛を受ければ受けるほど、もっと主を愛したいという主を愛する心が生まれてきます。そして、主を愛する心を持つとき、愛するお方に何かをささげるということは、どんなことであっても、それは私たちの喜びとなるのです。

そして、すべてを主にささげる心を持つには、自分の心や人生の領域すべてにおいて、主を主として歩むようになることが必要です。私たちの心や人生の領域において、主が主となっていない領域、主が治められていない領域では、私たちは主にすべてをささげることは難しいことが沢山あります。

この貧しいやもめは、自分の生活においても、財産においても、将来においても、自分の心や日々の歩みにおいて主を主として歩んでいたからこそ、すべてをささげることができたのではないかと思います。

主を主として歩む歩みをすればするほど、私たちのうちに自分の持てるものも、自分のこれからも、自分の働きや賜物も、自分のすべては主のものであるという心からの悟りと願いが増し加わり、主にすべてをささげたい心が溢れるようになってくるのです。

■A:考えてみよう
私たちは自分の力では何かを主にささげることさえもできないことを覚え、今日も主が私たちを助け励ましてくださり、私たちのうちに「すべてを主にささげる心」が新たに与えられていきますように。

そして今日も主の愛を新たに知り、主を愛する心が新しく与えられていきますように。

今日の歩みの中で、主を主として歩むことができますように。また今日も私たちの心、人生の領域の中で、主が主となっていない領域が、主を主とする領域、主が治められる領域へと聖霊の力によって変えられていきますように。

貧しいやもめのように何か必要がある状況、大変な状況があったとしても、第一のものを第一として歩むことができますように。そしてどんな状況でも、主が導き、主が治めてくださっていることを覚え、いつも感謝の心を持つことができますように。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ありさ 】

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