■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書20章17~18節

★イエスは、彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。』と書いてあるのは、何のことでしょう。
この石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。」

■O:今日のコラム
有名なイザヤ書からの引用箇所です。律法学者、パリサイ人たちはイスラエルの家を建て上げるべくその役目を与えられた人たちでした。しかし彼らは尊い礎の石、神の家の唯一の土台石であるイエス様を亡き者にしようと企んでいたのです。

18節を見ると下の石と上の石があることがわかります。イエス様を私たちの唯一の拠り所として、そこに飛び込んでいくときに私たちの心は砕かれていきます。しかし主に対する信頼によってしか、主をお喜ばせすることはできず、主をかしらとする家は建て上がっていきません。

主の招きに応じて経済、時間、感情などを委ねて明け渡していきましょう。委ねることは努力しないことではありません。委ねて、信頼して、努力するのです。主が助けを与えてくださいます。そしてむしろ主の力によって成し遂げられていくのです。これは主との共同作業です。主の仰せに従ってこそ、キリストをかしらとした家は建て上がるのです。

そして上石であるキリストが、天から降りてこられるならキリストに逆らう者は粉みじんになってしまいます。しかし、これはキリストをかしらとして受け入れている者たちにとっては、最大の希望なのです。これは主の再臨です。

18節のイメージはひき臼です。そして私たちが小麦なのです。丁寧に砕かれた小麦粉だけが主の宮に納められるのです。そしてこの礎の石は直訳では隅のかしら石です。隅のかしら石は、コーナーに置かれる土台石であると共に、城壁が完成したときに補強のためにコーナーに置かれる石も指します。上の石と下の石です。

キリストをかしらとして敬い、従って歩んでおられるでしょうか?貞淑で慎みのあるキリストの花嫁として「主のために」という心で歩むなら、キリストをかしらとした神の家は少しづつ建て上げられていき、ついには隅のかしら石が置かれ、主と共に住う神の都、新しいエルサレムは完成するのです。

この箇所を新改訳2017では「礎の石」ではなく「要の石」と翻訳しています。そしてこの要の石とは石をアーチ状に組み上げたときに最後に置かれる石で二つの物を一つに繋ぐ決定的な石であることは、意味深いことであると思います。

■A:考えてみよう
主の語りかけを受けるために、主と一対一の時間を持ちましょう。これはベタニヤでマリヤに語られたように、私たちに必要なただ一つのことです。

そしてその御言葉を握って主と共に歩みましょう。キリストのくびきを負って歩むのです。その中で私たちは多くを学ぶことができ、心に安らぎを得ることができることを信じましょう。キリストを夫として敬い、従う歩みを積み重ねましょう。

■P:祈り
イエス様。あなたは私の主。私のかしらです。今日も御声を持って私を慰め、私を力付けてください。日毎の糧をお与えください。私はあなたを敬い、従っていきます。あなたを土台とし、あなたをかしら石とし主の家が完成することを願い求めます。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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