■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書15章18節
★お父さん、私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。 雇い人のひとりにしてください。
■O:今日のコラム
「放蕩息子のたとえ話」を見てみたいと思います。
弟は父から貰った財産を湯水のように使い果たし、食べるものにも困り果て、人生のどん底にまで落ちてしまいました。弟は、ようやく目を覚まし、このように告白しています。
「お父さん、私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」(ルカ15:18)
この放蕩息子の姿はまさに私たちの姿であると思います。
聖書では神様から離れて自分勝手に生きる生き方を罪と呼んでいます。クリスチャンになっても、未だに神様から離れて、自分勝手に生きてしまっている領域があります。ときには自分の罪によって失敗を経験し、どん底まで落ちてしまうような時があります。
17節では「我に返って」とあります。弟は我に返って父を思い出し、「自分は父の息子である」という事を思い出しました。私たちも毎日、我に返って自分の本当の姿を思い出し、神様に立ち返る悔い改めの時を持つことが大切です。
最初の喩え話で、イエス様はこのように言われます。
「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」(ルカ15:7)
ここで「悔い改める必要のない九十九人の正しい人」が出てきます。この人々は悔い改めが必要ないのでしょうか?もちろん人間である以上悔い改めが必要です。イエス様はパリサイ人、律法学者達にこのように言っているのです。彼らは、自分で自分を「正しい人」と自任しているので、悔い改めを必要としていない人たちなのです。
パリサイ人や律法学者のようではなく、ぜひ「ひとりの罪人」であると告白し、悔い改めの道に入って行きたいと思います。
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイ7:13,14)
そして、悔い改めを通して天に喜びが湧き起こり、この地に神様の好意と祝福が溢れて行くようになるのです。ぜひ、この機会に今一度悔い改めの恵みに入っていきたいと思います。
■A:考えてみよう
神様から離れて生きている領域はないでしょうか?なかなか自分自身では気づく事が出来ないものですが、今一度聖霊様によって祈り、心を照らされ、悔い改めに入って行きたいと思います。
■P:祈り
愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あきひろ 】
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