■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書12章22節
★それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。
同31節
★何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。
■O:今日のコラム
今日のルカ12章は、イエス様がおびただしい数の群衆に向かって語った内容です。つまり、その内容は私を含めてすべての人に適用されるものです。今日の御言葉から『心配を主の平安へ変える生き方』というテーマで分かち合います。
(1) 心配は、自己中心が根元です
まず始めに心配が生まれる原因を考えます。これは私自身がこれまでの経験や心理状態から考察したものですが、心配とは『理想と現実のギャップ。もしくは願いと反する状態への不安』と捉えることができます。
例えば経済で悩むのは、あれが欲しい、もっとお金があったら生活が楽になるという理想と実際の現実が離れている場合、そのギャップをどうやったら埋められるだろうかと心配や思い煩いが生じます。
また自分の子どもが事故に遭ったらどうしようと心配になるのは、自分の願いと反する状態を想像して、それが受け入れられないことによる不安から生じます。
心配の本質を探ると、そこにはいつも『自分の理想や願い』があることがわかります。自分が心の王座に座り、理想や願い通りになりたいと強く切望しています。それゆえに心配は、自己中心が根元にあるのです。
このように心配の原因が自己中心であることを認めて悔い改めることが、主の平安を生きる第一歩になります。
(2) 心配は、主のご計画に信頼する時に平安へと変わります
それではどうしたら心配から解放されるのでしょうか?それは自分の理想や願いを手放し、主のご計画に信頼することです。
主は次の御言葉をもって、私たちに平安を約束してくださっています。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)
この御言葉はイスラエルの民がバビロンに捕囚された時、主が語ったものです。民が絶望と不安、嘆いていた状況において、主は平安を与える計画があると宣言してくださったのです。そして将来には必ず希望が与えられると約束しています。実際、それはエルサレムの再建、そしてイエス様の十字架によって成し遂げられました。
私たちも主のご計画に信頼する時、現実は変わらなくても平安が与えられます。今の状況も主の御手にあることを信仰によって受け入れることができます。そして、将来に希望が約束されていることを感謝できるようになります。
ただ実際には何度も心配や思い煩いがやってきます。その度に次の御言葉を宣言し、祈りに変えていきましょう。そうすれば心配の数だけ祈る歩みへと導かれます。
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6,7)
(3) 心配は、神の国を求める生き方へと変えるきっかけです
さらに私たちは次の御言葉を確信し、神の国を求める生き方へと導かれることを願います。
「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」(ルカ12:31)
主の願いを第一にするならば、必要な物はすべて与えられる約束を感謝します。
主の願いを第一にしないならば、必要な物をどんなに求めてもそれは手に入れることが難しくなります。実際にイスラエルの民はそのことを経験しています。ハガイ書1章を見るならば、バビロンから帰還した民は主の神殿を再建するよりも自分たちの生活を優先しました。その結果、どんなに多くの種を蒔いても少ししか取り入れることができず、食べても足りることがありませんでした。しかし、神殿を再建して礎が据えられた日から、主は民たちを祝福されたのです。
私たちも不足や欠けを満たすことを追い求めて神の国を退けるのではなく、不足や欠けがあっても第一に神の国を求める者になることを願います。
それでは神の国を求めるとはどういうことでしょうか?これは様々なことがありますが、私は内なるエルサレムの回復が神の国を求めることの1つであると受け取りました。
祈りの城壁が建てられ、御言葉によって内なるエルサレムが回復し、私たちが本来あるべき姿に変えられることを追い求めるならば、主は必要をすべて満たしてくださいます。
私たちは心配に留まっていたら苦しいです。しかし、心配を祈りに変え、さらに神の国を求めるきっかけにするならば、それは主の平安を歩む人生となります。それゆえ心配すらも感謝し、主の平安で満たされる歩みとなることを主に感謝します。
■A:考えてみよう
・心配がどこから来るか考えてみましょう。
・どこに本当の平安があるか考えてみましょう。
・何を追い求めるべきか考えてみましょう。
■P:祈り
心配が自己中心であったことを認めて悔い改めます。また自分の理想や願いを手放し、心の王座を主に明け渡します。主のご計画に信頼する時、平安を与えてくださることを感謝します。そして、内なるエルサレムの回復に喜んで取り組みます。必要なすべてを満たしてくださる主に感謝します。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あさひ 】
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