■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書5章32節
★わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」
■O:今日のコラム
今日の箇所をみると、イエス様が誰をご自身のもとに招いているかがはっきりと書かれています。そうです、イエス様は正しい人ではなく、罪人を招いておられます。
当時、イエス様に反する人々はいつも自分を正しいとしている者たちでした。
「さて、金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた。イエスは彼らに言われた。『あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられるものは、神の前で憎まれ、きらわれます。」(ルカ16:14~15)
パリサイ人たちは良いものであるトーラーを与えられ、神様の御言葉を委ねられた者たちでしたが、彼らはその良いものを自分の義につなげたり、自分にとって良いように受け取ったりしてしまいました。彼らはその与えられた御言葉によって自分の中にある自己義を認め、真のトーラーであるイエスキリストによる救いを求めるべきでしたが、そうすることができませんでした。
「それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、『むさぼってはならない』と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。」(ローマ7:7)
「彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。…しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。それは、こう書かれているとおりです。『見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。』」(ローマ9:4, 31~33)
パリサイ人たちの話しは決して他人事ではなく、自分自身のこととして受け取りたいと願います。間違いを指摘されることによっていい気持ちをする人はいないのではないでしょうか。特に正しいと思っていることが覆されるとき、それを素直に受け入れることは難しいです。それが人間の正直な感情だと思います。しかし、御言葉により、また聖霊様によって自分の罪が明らかにされるとき、自分が罪人であることを心から認めることのできる者でありたいと願います。
このルカ5章の前半には、自分自身が罪深い者であることを悟り、イエス様に自分から離れることを願うペテロの姿が記されています。このペテロの反応は半分は正しいですが、半分は誤りではないかと思います。
自分が罪深い者であることを悟るとき、確かに聖なる方に対する恐れが来ます。しかしそこで遠ざかるのではなく、むしろ罪人を招いてくださる主に向かうべきだと思います。
「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」(1テモテ1:15)
パウロは上の御言葉を告白しています。本当に罪人であることを悟り、認め、イエス様を救い主としてお迎えできる人はなんと幸いでしょうか。
「私は罪人です。私というものからは良いものは出ません。だからこそあなたが必要です!あなたの福音が必要です!」この心と祈りがいつも私のうちにあることを願います。
最近の日曜礼拝の中で、牧師先生より「良い子のクリスチャンになるのではなく、主の前に正直になりましょう!」というメッセージが分かち合われました。本当にその通りだと思いました。私にはイエス様が必要ですということから救いは始まり、日々の歩みにおいてもイエス様が必要であり、最終的には私が衰えて愛する主イエスキリストだけが残る、そのような歩みをしたいと願います。
■A:考えてみよう
自分を正しい者としていないだろうか。
自分は罪人であると認めることができているだろうか。
御言葉を自分の都合の良いように読み、受け取っていないだろうか。
■P:祈り
愛するイエス様、あなたの御名をほめたたえます。今日もあなたの恵みが十分であることを感謝します。
私は自分を正しい者とする心があることを認めます。自分が悪いことを自分の力で認めることはできません。どうかそのような自己義を砕いて、あなたなしでは生きることができない歩みに導いてください。
イエス様、ますます御言葉を教えてください。御言葉を曲げることなく、本当にイエス様が言いたいことを受け取ることができますように。
その御言葉によって自分が罪人であることを真に悟らせてくださり、救い主なるイエス様を求め続けることができますように。
そしてあなたによって義とされ、御言葉と一つになった者となることができますように。
愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 たくみ 】
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