■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書6章20~26節

★イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。
いま飢えている者は幸いです。やがてあなたがたは満ち足りるから。いま泣く者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから。
人の子のため、人々があなたがたを憎むとき、あなたがたを除名し、辱め、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。
その日には喜びなさい、おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。彼らの父祖たちも、預言者たちに同じことをしたのです。
しかし、あなたがた富む者は哀れです。慰めをすでに受けているから。
いま食べ飽きているあなたがたは哀れです。やがて飢えるようになるから。いま笑うあなたがたは哀れです。やがて悲しみ泣くようになるから。
みなの人がほめるとき、あなたがたは哀れです。彼らの父祖たちも、にせ預言者たちに同じことをしたのです。

■O:今日のコラム
貧しい者、今飢えている者、今泣く者、主のために迫害されている者は幸いです。なぜでしょうか?それは彼らの願いは天にあるものであるからです。そしてその願いに主は必ず応えてくださいます。

一方、この地上の富に満足する者、世にあって食べ飽きている者、いま笑うことに満足している者、人からの称賛に満足している者は哀れであるとあります。それは彼らの願いはこの地上のことにあるからです。それらはいずれも一時的に与えられているに過ぎないものです。

この哀れな者の特徴はラオデキア教会の特徴にも似ていると思います。彼らは自分たちでは「豊かだ。繁栄している」と思っていましたが、主からは「実は貧しくて、哀れである」と叱責を受けています。

■A:考えてみよう
ラオデキア教会に対する勧めは熱心な悔い改めでした。自分の肉の欲、自分の世にあっての願望が偶像になってしまうことがあります。それらを握らず、いつでも手放して委ね、感謝をもって十字架の前に差し出す時間を持ちましょう。十字架は私たちを罪から分離し、自由を得させる神の力です。 

また私たちの願いが、詩篇27:4にあるただ一つの願い、天にあるものの中心であるイエス様と一つにされることになるためには、どうしても必要なただ一つのこと(ルカ10:42)である主の御前にひざまずき、御声に聞き入る時間が必要です。具体的にいうなら祈りと御言葉の朗読の時間を持つことです。

「彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。
ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。『主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。』
主は答えて言われた。『マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。
しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。』」(ルカ10:39~42)

■P:祈り
主よ。あなたとの交わりの時間を豊かに待つことができますように。主がこの時間を祝福し特別なものとしてくださいますように。私の願いがあなたの願いと一つにされることを願います。自分の間違った野望、肉の欲を十字架に手放して生きていきます。どうか私の負うべきものだけを負って歩むことができるようにしてください。この信仰の道は喜びと楽しみに満ちていることを信じ感謝いたします。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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