■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書2章25,26節

★そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。
また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。

同2章36,37節

★また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、
その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。

■O:今日のコラム
今日の箇所には、お生まれになったばかりの救い主イエスを見出した二人の幸いな人物が記されています。
シメオンと女預言者アンナです。二人とも歳をとっていたことが御言葉を見ても分かります。ですから、この時点で、彼らはすでに長い月日、宮にいて待ち続けていました。

私は子どもの頃、まるで犯人の帰宅を待ち伏せする刑事が、路駐した車の中で何日も張り込んでいるように、シメオンもアンナも宮に張り込んでいたから、救い主イエス様に会うことができたのだと思っていました。もし、そうだとしたら、1ヶ月も精神が持たないでしょう。彼らは、1歩も動かずに宮に張り込んでいたわけではありません。

「彼が御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、入って来た。」(ルカ2:27)

「ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。」(ルカ2:38)

シメオンは御霊の導きを感じて宮に入った時に、イエス様と出会いました。またアンナは「ちょうどそのとき、彼女もそこに」いたのです。

シメオンの他にも、正しい、敬虔な人はいたはずです。また、アンナの他にも多くの人々がイスラエルの贖われること、救い主が来られることを待ち望んでいる人はいました。けれども、この二人がイエス様が宮に来られるタイミングにそこに居合わせることが出来たのです。めちゃめちゃラッキーな人たちです。何故、この二人だったのでしょう。

シメオンの上には御霊の伴いがありました。シメオンは御霊を尊び、御霊と共に歩む人生を送っていたゆえに、御霊の導きを受けて、救い主が宮を訪れるという神のタイミングに立ち会うことが出来ました。

女預言者アンナは夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕える者でした。ユダヤ人にとっての祈りとは、御言葉の朗読が含まれます。そのような日々を送っていたある日、彼女の前にイエス様が現れたのです。つまり、シメオンと女預言者アンナの生活には、御霊による祈りと御言葉がありました。

自分の教会生活の中において、今まで多くの方に関わらせて頂きました。人生に困難を抱える様々な方々に対して、『何か良い方法はないか。何か良い教えが書いてある信仰書はないか。何か改善できる良いクリスチャンのプログラムはないか。』と模索していた時代がありましたが、振り返るとそのうちの何一つとして長続きはせず、多少の解決はあったとしても、根本的な解決にはならなかったように思えます。

けれども、教会の中で、「祈り」と「御言葉」が人々の日々の信仰生活の基盤となってきた今、気づくのは、人々が確かに変えられているということなのです。

それは時間がかかり、すぐに変化が見られるものではないのですが、忍耐をもって祈りとみことばの生活に自分を捧げている人の魂を、またその人生を、主は確実に変えてくださっています。

御霊を歓迎し、尊び、祈り、イエス様ご自身である御言葉を愛する歩みをするとは、イコール、献身者になるという意味ではありません。それぞれの任されている自分の人生の中で、祈りと御言葉による神との交わりを優先順位の一番上に置く、ということです。

祈りと御言葉の歩みのすえに、シメオンと女預言者アンナは救い主に出会うという特別な恵みにあずかりました。
私たちが、祈りと御言葉の歩みを続ける先には、主イエスの再臨があります!!花婿イエス様が私たちを迎えに来てくださるその神の時に、シメオンやアンナのように、「ちょうどそこに」いる者となれることを信じます。

■A:考えてみよう
自分自身も毎日の生活の中で、御言葉の朗読に多くの時間をさくチャレンジをしています。(もちろん、異言の祈りや血潮の宣言も欠かせませんが)
時に「これ以上、読んで、どうするのか…」と途方に暮れる日がゼロではありませんが、それ以上に「自分の内にキリストのご人格がどれだけ大きくなってくださるのだろうか。どれだけ、主が私の内側に現れてくださるのだろうか。」という期待があります。(まだまだほど遠い、というのが正直なトコロではありますが…)

祈りと御言葉によって、魂が造り変えられ、私たちの内にキリストがあらわされていくことを求めていきましょう。私たちの内側に、主の現れがなされていくことを求めていきましょう。

かつて、初代教会時代、周りの人々が「彼らの内にキリストがいる」と言って、聖徒たちのことを「クリスチャン」と呼んだように、祈りと御言葉の歩みを続けることを通して、人々が「彼らの内にキリストがいる」と言って私たちの内にキリストを見る日が来ることを願い求めます!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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