■S:今日の聖書の言葉
ヨシュア記20章3節

★あやまって、知らずに人を殺した殺人者が、そこに逃げ込むことのできるようにしなさい。その町々は、あなたがたが血の復讐をする者からのがれる場所となる。

■O:今日のコラム
今日の御言葉に出てくる「逃れの町」とは、過って人を死なせてしまった人が、復讐する者から逃れるために神様が設けてくださった緊急避難の制度でした。この御言葉を通して「私の逃れの町はイエスキリストである」こと、「正しい裁きは神のものである」ことを主が語ってくださったように感じます。

「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。」(1テモテ1:13)

パウロはここで「知らないでしたことなので、あわれみを受けた。」と言っています。しかし、聖書には全ての人は罪を犯し、裁きを受けるべき存在であることがはっきりと書いてあります。

殺人者にも逃げこむ場所を用意してくださった神様の心を思うとき、神様は「結果」や「事実」だけを見られるお方ではなく、私たちの「心」や「動機」を見て、知ってくださっているということを覚えます。

私たちは、主が知ってくださっている、ということで慰めを受けますが、だからといって、自分を正当化することは誰にもできません。聖書には、次のように書いてあるからです。

「それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10)

「あなたのしもべをさばきにかけないでください。生ける者はだれひとり、あなたの前に義と認められないからです。」(詩篇143:2)

逃れの町とは、裁きから逃げることでも、自分を正当化するためのものでもなく、主の正しい裁きの中に入ること、であるように思います。

イエス様は、私の罪を担い、父なる神の裁きを代わりに受けてくださいました。ただ一人、義なるお方の流された血潮によって、私たちは義とされるのです。

「私は真実の道を選び取り、あなたのさばきを私の前に置きました。」(詩篇119:30)

「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3:24)

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(IIコリント5:21)

このお方の正しい裁きの中に入るとき、私たちは十字架を通して、さばきに勝る主のあわれみを知ることができます。

今日も主の御前に進み行く時、正しい裁きの中に入れてくださる主のあわれみを求め、十字架の恵みに感謝を捧げましょう。逃れの町はイエス様です。私たちの避け所、本当の安息は十字架にあります。

「あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。セラ」(詩篇32:7)

「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。」(哀歌3:22)

■A:考えてみよう
下記の御言葉を朗読し、黙想しましょう。御言葉に基づいた信仰が、今日一日、私たちの心と思いを満たしますように。

「あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。」(ヤコブ2:13)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【こばあい】

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