■S:今日の聖書の言葉
ヨシュア記22章26~29節
★それで、私たちは言いました。『さあ、私たちは自分たちのために、祭壇を築こう。全焼のいけにえのためではなく、またほかのいけにえのためでもない。
ただ私たちとあなたがたとの間、また私たちの後の世代との間の証拠とし、私たちが、全焼のいけにえとほかのいけにえと和解のいけにえをささげて、主の前で、主の奉仕をするためである。こうすれば、後になって、あなたがたの子らは私たちの子らに、「あなたがたは主の中に分け前を持っていない」とは言わないであろう。』
また私たちは考えました。後になって、もし私たち、また私たちの子孫に、そのようなことが言われたとしても、そのとき、私たちはこう言うことができる。『私たちの先祖が造った主の祭壇の型を見よ。これは全焼のいけにえのためでもなく、またほかのいけにえのためでもなく、これは私たちとあなたがたとの間の証拠なのだ。』
私たちが、主の幕屋の前にある私たちの神、主の祭壇のほかに、全焼のいけにえや、穀物のささげ物や、他のいけにえをささげる祭壇を築いて、きょう、主に反逆し、主に従うことをやめるなど、絶対にそんなことはありません。」
■O:今日のコラム
ヨシュアたちはカナンの地を占領していきました。そしてヨルダンの東の地に領地を与えられていた、ルベン、ガド、マナセの半部族はヨルダンの東に戻っていきます。
この時にこの2部族半はヨルダンの西側に祭壇を築きました。主が定めた場所以外に祭壇を築きいけにえを捧げるなど赦されない、と言ってイスラエルは戦う構えを見せます。
しかしその時の2部族半の言い分は意外なものでした。それはいけにえを捧げるためではなく自分たちがヨルダンの東にあっても、神の民である証拠としてこの祭壇を作ったと言うものでした。
この祭壇は何を意味しているのでしょう?それはキリストの十字架です。祭壇とは肉を捧げる場所です。イエス様は十字架でご自分の体をお捧げになられたのです。
私たちは十字架を、神が自分のためにしてくださったみわざであることを告白するなら、誰も神の民であることを否定できないのです。私たちが天の御国に国籍を持っていることの根拠はただ主の十字架にあるのです。
■A:考えてみよう
私たちが救われていない者のように生きるのは良くないことです。私たちは救われている者なのです。私たちが愛されていない者のように生きることは良くないことです。これ以上ない愛で愛されている者なのです。その根拠は十字架にあります!自分に実感がなかったとしても、十字架を証拠とするなら誰も否定できないのです。
自分の中にそのことを否定する思いがあるならば悔い改めて、私たちを救う主の十字架に委ねるべきです。そして救われている者、愛されている者としての考え方が自分の考え方となるように祈りましょう!
■P:祈り
人がその友のためにいのちを捨てる、これよりも大きな愛はありません。この最大の愛で私は愛されています。私は神の子、あなたの相続にあずかることができる者です。どうぞますます深く、強くそのことを悟ることができますように。救われている者、愛されている者としてふさわしいものの考え方を持つことができますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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