■S:今日の聖書の言葉
テサロニケ人への手紙第一3章3節
★このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難に会うように定められているのです。
■O:今日のコラム
ここには、苦難は神様が定められていると書かれています。
自分は今、苦難の中でボロボロになっているという方もいらっしゃるでしょう。私たちは、感謝することが難しいという状況に出会う事はしばしばあると思います。苦難の中にいると、なかなか感謝するということが難しくなってしまいます。
喜べない事はありますか。感謝できないことはありますか。喜んでなんかいられないよっていう気持ちが自分の中にないでしょうか。聖書はこのように言っています。
「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」(ピリピ1:29)また、「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」(1ヤコブ1:2)
人間関係の事、仕事の事、学校の事、家庭の事、健康の事、これは私には感謝できないということがみなさんの中にあるのであれば、どうぞそこは無視しないで、あえてそこに心を向けて祈りましょう。神様の御前に進み出て祈りましょう。人との関係に苦しんでいるのであれば、「その人の存在を感謝します。」そのように祈りましょう。そう祈った時に、私にあの人が必要だと神様は思われて私に与えてくださったんだという事が分かるでしょう。あの苦難が私には必要だったんだという事が分かるでしょう。
私たちが出会っている苦難というのは、どう考えたって喜ばしいものとは言えないかもしれません。辛いものでしょう。苦しいものでしょう。悲しいものでしょう。感謝しますなんて言えないかもしれません。でも、神様は全てを御手の中に守ってくださって、後になれば平安の義を結ばせるものになるんだと聖書は語っています。
「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(ヘブル12:11)
ですから、神様の愛に感謝しましょう。どんな状況にあっても神様の愛を信頼して感謝しましょう。この苦難の定めは、イエス様の十字架に示されています。
「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカ9:23)
神様は、イエス様を与えたほどに私たちを愛し、イエス様が私たちのために私たちの罪を背負って十字架に架かってくださり、今もなお私たちを招いてくださっているんです。私たちと一緒にいたいと願ってくださっているんです。そして、私たちが受け入れさえすれば、いつも私たちと共にいてくださるんです。
苦しいことがあるでしょう。悲しいことがあるでしょう。本当に負いきれないことが起こってくるでしょう。その時にイエス様の十字架を見上げて感謝していこうではありませんか。
■A:考えてみよう
私たちは苦難を通りますが、その苦難の道のりは自分一人ではないという事を信じて感謝して歩んで行きましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 てる 】
オンライン献金はこちらから。
大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。