■S:今日の聖書の言葉
詩篇60篇11節
★どうか、敵から私たちを助けてください。まことに、人の救いはむなしいものです。
■O:今日のコラム
私たちは神の恵みによって、救われた者です。しかし、救われた私たちは自分の救いの達成に努めなさいとパウロは言っています。(ピリピ2:12参照)
私たちが救いの達成へと努める歩みにおいて、気をつけなければならない一つのことは、偶像であります。パウロは第一ヨハネで永遠の命について語った最後に、以下のことを述べているからです。
「子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。」(1ヨハネ5:21)
偶像とはもちろん表面的なものとして石や木で作られた神のことでもありますが、神によらない人の手が加えられたわざや偽りもまた偶像です。
「異邦の民の偶像は、銀や金で、人の手のわざです。口があっても語れず、目があっても見えません。耳があっても聞こえず、また、その口には息がありません。これを造る者もこれに信頼する者もみな、これと同じです。」(詩篇135:15~18)
神様から与えられている御言葉を自分勝手に解釈していないでしょうか?主の御心ではなく、偽りを行っていないでしょうか?神様のためにと口では言いながら、自分のために歩んでいないでしょうか?もしそのような歩みがあるならば、自分自身の内側に、偶像となる人の救いの領域があると思います。
終わりの時代、天の御国に入るのは人の手のわざを行った者ではなく、父の心だけを行った者であることを覚える必要があります。
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」(マタイ7:21)
私たちのうちから偶像である人の救いの領域を取り除き、キリストイエスにある真の救いを求めていきましょう。人の救いはむなしいものですが、主の救いを受け主と共に歩む日々はむなしい歩みではなく、喜びの道のりであることを宣言します。
「ですから、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえの栄光を受けるようになるためです。」(2テモテ2:10)
■A:考えてみよう
祈りの中で、自分自身の内側を今一度点検していきましょう。
私たちに関わる全てが、人から発したものではないか、人によって成っていないか、人に至っていないだろうか。
「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(ローマ11:36)
■P:祈り
今日も主の恵みによって、救いが与えられていることを心から感謝いたします。これは当たり前のことではなく、受けるべきでない者が与えられる一方的な恵みです。そのことを覚えながらそこに留まるのではなく、救いの達成へと努めることができますように。
私たちの内側に触れてくださり、人の手が加えられた偽りの救いが取り除かれ、真の救いを受け取り、主の御心だけを行うことができますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まこと 】
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