■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第一13章13節
★こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
■O:今日のコラム
イエス様は十字架に架かる前に、次の命令をされました。
「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)
この命令を実行することは、神様の御心です。しかし、難しい命令です。愛するとは具体的に愛の行いをすることだからです。
1-3節では、「愛がないなら~」と続きます。愛がないのにも関わらず、愛の行いをしようとするならば何も意味が無いことを言っているのです。神様は心をご覧になられます。愛の行い、奉仕、捧げ物、様々なことをしたとしても、その動機が何なのかが重要なのです。
いつの間にか、肝心な「愛が動機」ということが薄れてゆき、行いだけが残り、何となくこなしてしまうことがあります。私自身、そのような経験があります。喜びが無くなっていき、虚しさがやってきて、疲れを覚え、しまいには人の目を気にしてしまうようになります。そのような時、私たちは立ち止まり、もう一度「愛」を土台に全ての事をしているのかを確認する必要があります。
ここで使われている「愛」という言葉は原語では「アガペー」が使われてます。アガペーは人間的な愛ではなくて、「神の無償の愛」のことです。人間は生まれながらに、このアガペーの愛は持ち合わせていません。聖霊様がイエスキリストを通して愛を注いでくださるのです。
このアガペーの愛を自分自身体験し、十分に注がれなければなりません。神様の愛が十分に注がれ、溢れ流れた分で愛の行いをしていきたいと思います。
このようにお祈りしてみてください。
「イエス様、聖霊様、私は飢え渇いています。あなたの愛を注いでください!」
4-8節では具体的に、愛の性質について書かれてあります。この愛の性質の一つ一つは、イエスキリストの人格、品性とも言えます。私は、現時点での自分の姿を見る時に、あまりにも愛が無く、この御言葉にかけ離れている自分の姿を見て失望しそうになってしまいます。しかし、私たちは失望する必要はないのです。
聖書にこのように約束されています。
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(第二コリント3:18)
私たちの内なる人が聖霊様の働きによって、キリストの似姿に変えられていくのです。日々祈り、御言葉を朗読し、実際に愛を実行していきたいと思います。
■A:考えてみよう
祈り、神様の愛に生きようとすればする程、自分の弱さ、愛の無さに直面させられる事があります。それは、聖霊様が変わるべきポイントを見せてくれているだけなのです。
皆様はどうでしょうか?そのようなシーズンを通らされているのならば、主に感謝し、祈り始めるチャンスです。
■P:祈り
愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あきひろ 】
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