■S:今日の聖書の言葉
詩篇56篇13節
★あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。
■O:今日のコラム
私たちが今日も神の御前を歩むために、私たちのいのち、魂は死から、私たちの足はつまずきから救い出されたことを感謝します!
神様がひとり子を与え私たちを愛し救い出してくださったのは、イエス様がご自分の命を捨てて十字架を忍ばれたのは、救いを与えて将来天国に住まう者とするためだけでなく、今この地において神の御前を歩む者となるためであったことを今日も覚え、どこにいても、何をしていても、神の御前を歩み続けることができすように。
私自身は、いつも神の御前を歩んでいるでしょうか?日常生活の中で、神の御前でできないことをしていないでしょうか?神の御前で言えないことを口にしていないでしょうか?
一人でいるときも、誰も見ていないときも、人と話をするときも、主は私たちを見ておられます。どこにいても、何をしていても、主の御目は私たちに向けられ、主の目から隠されていることは何もありません。主のまなざしがいつも私たちに向けられていまから、いつも私たちも主に目を向け、主を見続けることができますように。
私たちが感じても、感じていなくても、いつも主の御霊が私たちのうちに住んでくださっていて、いつもインマヌエルなるお方が私たちと共にいてくださっています。そのことをいつも意識し続け、そのことをいつも感謝し続け、どこにいても、何をしていても、主とともに歩む者となることができますように。
私たちが礼拝者となるということ、また私たち自身が祈りの家となるということは、いつも神の御前を歩む者となるということです。教会や、祈りの時間だけが神の御前ではなく、日常生活すべて、仕事でも、家庭でも、学校でも、私たちは神の御前に歩む者として召されています。
いつも神の御前を歩むことができることは、私たちに与えられている偉大な特権です。その特権を持つことができるために、主がご自分のいのちをもって代価を支払ってくださったことを心から感謝します。
今日の1日も、主に目を向け続け、主とともに、常に神の御前を歩むことができますように。
■A:考えてみよう
神の御前に進み行き、そして神の御前を歩むために、主がすでに代価を支払ってくださったことを覚え、今日も主の御前に出て、そして生活のすべての領域で、神の御前を歩むことができますように。
今日、主からの助け、慰め、知恵、あわれみ、愛…を必要としているでしょうか?神の御前に出ていき、主から受け取りましょう。神の御前を歩むならば、いつも主から受け取ることができることを感謝します。
自分はいつも神の御前を歩んでいるだろうか?神の御前でできないことをしていないだろうか?神の御前で言えないことを口にしていないだろうか?今一度考え、今日1日、いつも神の御前であることを意識し続けることができますように。
どこにいても、何をしていても、神の御前を歩む者となることができますように祈り求め、 どこにいても、何をしていても、主は私たちを見ておられ、私たちとともにいてくださることを感謝しましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ありさ 】
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