■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第一10章3~6a節
★みな同じ御霊の食べ物を食べ、みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。
■O:今日のコラム
イスラエルの民はエジプトを出て、荒野へと導かれ、約束の地カナンへと入っていきましたが、そのカナンへ入って行った者たちは新しい世代の者たちでした。エジプトから出てきた世代は、不従順のゆえに大部分が荒野で滅ぼされてしまいましたが、その経緯と理由が今日の箇所に書かれています。
イスラエルの民は主が降らせてくださるマナを食べ、岩から水を飲み、満たされていました。パウロはこのマナと水を「御霊の食べ物」と「御霊の飲み物」と表現していますが、どちらも主の御言葉を表すものであることを覚えます。
つまり、イスラエルの民は荒野で主の御言葉を与えられ、それを食べて飲んだにも関わらず、彼らの大部分の者たちが主に逆らい、荒野で滅ぼされる結果になりました。
なぜ彼らは御言葉が与えられ、それを食べて飲んだにも関わらず滅ぼされてしまったのでしょうか。今日の箇所にも書かれているとおり、それらはむさぼり、偶像礼拝、姦淫、主を試みること、つぶやきが理由でした(1コリント10:6~10参照)。これら一つ一つについて書くことは割愛いたしますが、これらの根源は自我であることを覚えます。
ですから心のうちにある自我が取り除かれなければいけません。人の心について、主は次のように言っています。
「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」(エレミヤ17:9)
私たちの心は自分の力や努力で変えることはできません。なので主の業、主の手術が私たちの心に施される必要があります。それを聖書は「心の割礼」と言っていると思います。
「ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。さもないと、あなたがたの悪い行いのため、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。』」(エレミヤ4:4)
「かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」(ローマ2:29)
自分自身の心の内側というのは自分と神様しか分かりません。むしろ神様の方が自分よりも知っているはずです。私の心は時に頑固で曲げられないかと思ったら、時に変わりやすく、どんなに良い状態で保とうとしても、自分の力ではできません。だからこそ私の心には本当に主の助けが必要です。主に造り変えていただき、この心に生ける御言葉を刻んでいただきたいと願います。御言葉が刻まれるからこそ、御言葉を行うことができることを信じます。
「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」(エゼキエル36:26)
「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。──主の御告げ──わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ31:33)
終わりの時代に生きる私たちにとって、イスラエルの民の歩みは教訓であり戒めです。聖書ははっきりと真理を示し、警告を与えています。私たちはその言葉に耳を傾けなければなりません。
御言葉を与えられ、それを受け入れていたとしても、私たちの心が変えられず、欲しいままにふるまうのであれば、その行き着く先は滅びです。
イスラエルの民のように外側だけに捉われて、内側の変革、御言葉の本質を求めないのではなく、今日という恵みの日に、心をかたくなにせず、主に取り扱っていただきましょう。今の苦しみと取り扱いを通して、真実な主が、私たちを真実な者へと造り変えてくださいますように。
「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(1コリント10:11~13)
■A:考えてみよう
・イスラエルの民はどのように歩んだのでしょうか。
・終わりの時代に生きる者として、どのような歩みを私たちはすべきでしょうか。
■P:祈り
イエス様、あなたの御名をほめたたえます。今日もあなたの愛と恵みが注がれていることを感謝します。
今日の御言葉にあるように、終わりの時代にある者として、イスラエルの民の歩みからどのように私が歩むべきか教えてください。
どうか御言葉を開いてください。そして私の心に割礼を施し、自我を砕き、あなたの御言葉を刻んでください。
そのようなあなたの業が私の内になされることによって、あなたの御言葉に聞き従うことができますように。
愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 たくみ 】
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