■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第一8章2~3節

★人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。

■O:今日のコラム
私たちが「何かを得た」、「成し遂げた」、「もう十分知っている」と自己満足したその瞬間から信仰生活が前進することは止み、良くて現状維持、悪くて後退して行くようになります。

旧約聖書における歴史を見ても、戦いや困難や試練がある時にはイスラエルの民は飢え渇いて主を求め、主に従うことに熱心になりましたが、約束の地を得、平穏がおとずれ、豊かになった時に彼らの心は主から離れ、信仰は後退して行きました。それなので約束の地を所有するにあたってヨシュアがイスラエルの民に進言していることに私たちも心に刻む必要があります。

「ただ、今日までしてきたように、あなたがたの神、主にすがらなければならない。主が、大きくて強い国々を、あなたがたの前から追い払ったので、今日まで、だれもあなたがたの前に立ちはだかることのできる者はいなかった。あなたがたのひとりだけで千人を追うことができる。あなたがたの神、主ご自身が、あなたがたに約束したとおり、あなたがたのために戦われるからである。あなたがたは、十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい。」(ヨシュア記23:8~11)

主にすがり、十分に気をつけて、主を愛することを私たちの人生をかけて共に追い求め続けてまいりましょう。私は教会の祈りの家で祈る時間だけでなく、個人の生活の中においてできる限り祈りと御言葉の中に身を置くように心がけています。家庭においても定期的に異言で祈り聖霊様を歓迎します。
(家庭での異言の祈りにこちらのサイトをお用いください。https://youtu.be/WFXsh57c1EQ)

また与えられた時間の中でできるだけ御言葉の朗読をし、定期的にイエス様の血潮を告白して祈ります。これは、自分の義や立派さや強さに立っておこなっているのではなく、むしろ自分の愚かしさと弱さを知る故の飢え渇きです。放っておくなら私はすぐにこの世の考えに流され、主から離れた思いになるので、「主にすがらなければ何も出来ない。」という思いを強く持って日々の生活の中で主を追い求め続けています。

パウロは多くの啓示を得、御言葉の奥義を知り、偉大な宣教の働きを成し遂げた後でも、まるで何も知らない者のように主を追求し続ける心を持っていました。パウロは人生の晩年になってこう言っています。

「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3:12~14)

このような考え方、生き方をすることがキリストにあって成熟し、成人となる為に必要であることをパウロは続けて言っています。

「ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。」(ピリピ3:15a)

私たちが主を追い求める時に主の御人格に触れ、もっと深く主を知るようになりますが、それ以上に主を追い求める者たちを主が知ってくださいます。「人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。」

私たちはイエス様に「知らない。」と言われる者ではなく、主に「よく知っている。」と言われる者となる為に人生をかけてイエス様を追い求め続けてまいりましょう。

■A:考えてみよう
今日、時間を取って祈りと御言葉の朗読をし、「もっと主を知りたい。」という飢え渇きを持って主を追い求めましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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