■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第一2章2節

★なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。

■O:今日のコラム
十年程前のメッセージで、夫婦は信頼関係を築いているからこそ、他人に言わない苦しみを分かち合う。同じように、人生の苦しいところを通ることは、花婿であるイエス様があなたを信頼しているので十字架の苦しみをほんの少し分かち合ってくれているシーズンですよ。という話を聞いたことがあります。

私たちの人生は予期せぬ出来事がたくさん起こります。自分の弱さしか溢れてこない時があり、努力や行い、頑張りではどうにもならない苦しみの中を通ることが誰にでもあると思います。

辛く、苦しく、悲しく、全部放棄してしまいたくなる時や、色々と言いたくなることもあるでしょう。けれども、それでも神様が主権者です。王です。何か申したくても、神様が神様であり、主権者なので、あれこれ言うことはできません。神様からは逃げることが出来ません。

「たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。」(詩篇139:8)

私事になりますが、今までしていたことが何一つ出来ず、自分の行きたいところに行くことが出来ない、やりたいことが何一つ出来ない、先が見えない、暗闇の中にいるようなシーズンの中にいました。

「神様が私の主です。主権者です。王です。」という今まで当たり前にしてきた告白さえも愚かに思え、祈っても何も変わらないという葛藤を覚えていました。そのようなときに、新宿シャローム教会が公開している「十字架の前に出て行く恵み」というYouTubeの動画を見ました。
(https://www.youtube.com/watch?v=Zb5qSkeckTU)

動画を見た後、シンプルに「神様、今、十字架の前に出て行きます。」と祈りました。涙が溢れて止まりませんでした。ようやく模範解答にたどり着いたような、イエス様がよくたどり着きましたねと言ってくれているような、そんな感じがしました。

その時から少しずつですが、祈り、礼拝、御言葉、神様を愛する心が回復していっているように感じます。

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(1コリント1:18)

「しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」(1コリント1:24-25)

この御言葉の通り、十字架は救いを受ける私には神の力であることを体験しました。

十字架の御業は、とても奥深いものです。実際の日常生活で十字架の御業と信仰が結ばれて、十字架が生きて働いている領域はどれくらいなのでしょうか? 今まで十字架を知っていました。けれども、この今知っていると思うところを基準として十字架の深みをもっと知りたいという飢え渇きが新たにされました。

「それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。」(ピリピ3:16)

今日の聖書箇所の「決心した」を別訳で見ると「選んだ、選択した」と書かれています。

十字架の前に出て行くと、恵みもたくさんありますが、同時にたくさん弱さが出てきます。忘れていたことを思い出したりします。苦しみもあります。そのときにイエス様がもっと必要だと悟ります。それは恵みです。だからたとえ苦しくても、それでも十字架の前に行くことを選択、決心したいと願います。

■A:考えてみよう
・苦しみの中を通る時、イエス様が十字架の苦しみを分かち合ってくれているということを覚えて感謝しましょう。
・あらゆる時に、十字架の前に出ていきましょう。

■P:祈り

愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まなくぼ 】

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