■S:今日の聖書の言葉
ローマ人への手紙8章28節

★神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

■O:今日のコラム
真実な告白のみことばです!私も神が全てを益としてくださることの恵みを体験しています。

主にあって、全てが計らずとも繋がり、思ってもない恵みを主は与えてくださるのです。そのことを思う時に、ただただ主に感謝があふれます。

そのようなみことばの実際的な体験を繰り返す中で、ただただ主は素晴らしいと思いながらも、でも、私が考える益となることではなくて、本当の意味で「益となる」ということはどういうことだろうと立ち止まって考える私がいました。恵みを体験する時にそれが主を深く求める力となります!

「益となる」というと、悪いこと、大変なことがあったけれども、他の所で良かったから、結果的に良くなった…というようなことを思うのではないでしょうか。

そのようなことも益とされることの一部ではあるかと思いますが、これは、続くローマ8:29,30に入っていくプロセスであると友人から聞いた時に、目が開かれ、聖書を祈りながら何度も読みました。

「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。…神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」(ローマ8:29a~30)

聖書を読むならば、私たちの中に神のかたちが回復され、義とされること、つまり内なる人が完成され主と一つとされることに向かう中で、全てが益とされていくことが分かります。アーメンアーメン!

私のために全てが益とされることをはるかに超えて、主の御計画の中にあって全てが益とされるのです!また、その主の計画のために、ローマ8章では、被造物も神の子どもの現れを待ち望んでいること、御霊がとりなしてくださっていることが記されているという聖書のつながりを見ることができます。

パウロもそのことを祈っているのを牧師先生が何度も語っておられました。エペソ3章をはじめとして、内なる人の完成を教会へのとりなしとしているのです。祈りの家でもそのことを日々とりなし祈っています。

では、内なる人が完成していくプロセスの中にいる私たちは、いまだ工事中です。その中にあって、何度も弱さ、誘惑、葛藤がやってくることを体験しておられるのではないでしょうか。

「あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。」(ルカ21:34)

神様が用意された完成に向かう終わりの時に、確かにこの戦いがあるように思います。

気づいたら、悩みと思い煩いに満たされて、目を向けるべきこと、すべきことが邪魔されてしまうのです。また、放蕩の心、すなわち父の家からでて、父の養い以外で向かい満たされる心が働きます。しかし、主と一つとなる完成に向かうには、主からでないものがあっては決して一つにはなれないのです。

時に主と一つ心になれているように感じ、深く求めたかと思えば、あれも気にしてこれも気にして、主からでないもので心が満たされてしまう、、、なんて忙しい心だろうと、自分の心を見て思うことがあります。そんな中でそのようなことがいけないということよりも、そのことでとどまってはいけないのだということを教えられています。幕屋の構造が大庭から始まり、至聖所に向かって進んでいくように、真理なる主に向かって進んでいくのです。

弱くても、何度も間違っても、それを認めて主を歓迎する時に、脱穀上を焼き尽くし、新しい心を与え、主がまた一歩先へと導いてくださるのです。

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(へブル4:15~16)

神様のための働き、ミニストリーではなくて、神様の計画、神様がなされることには、私たちがどんなに頑張ったか、能力を持っているかはかかっていません。

だからこそ、日々自分を捨てなければ、その道を歩めません。そして、本当に本当に本当に、毎日主が必要であるという告白が、きれいごとではなくて、内から出てきます。一歩も進めないというこの言葉がまさに当てはまるのです。主の御霊なくてしては進めず、悟れないものであり、みことばこそが、私たちの糧、力、回復の姿そのものだからです。

今日の箇所を詳訳聖書で見ると、「神は彼らと産みの苦しみをともにしてくださるからであるので」と書かれていました。

また、私たちが大好きな、「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:13)の箇所も、別訳では、「私は、私の内なる人を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。」と訳せると聞いたこともあります。

本当に書ききれないほど多くの箇所に、内なる人の完成について書かれ、主がそのことを励ましてくださっています。また御霊なる主がそのことをとりなし続けてくださっているのです。

主の言葉とまた御霊に信頼して、今日も完成に向かって進む私たちとなりますように祈ります。

■A:考えてみよう
・完成に向かうプロセスの中で心の中に働く、思い煩い、放蕩の心を主の御前に明け渡していきましょう。

・下記のみことばの告白を信仰の告白として告白し、御霊なる主と共に祈る時間を持ちましょう。

「そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさて、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。」(ピリピ2:12~14)

■P:祈り

愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ゆうこ 】

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