■S:今日の聖書の言葉
ローマ人への手紙4章24節

★また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。

■O:今日のコラム
今日の箇所でパウロは、義とされる信仰についてアブラハムの信仰を取り上げています。アブラハムは、今日の箇所にもあるように「主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる」復活の信仰を持っていました。

つまり、彼は自分やサラの体が死んだも同然であるのに、その体が復活し新しい命を生み出すことへの信仰を持っていたのです。その結果、期待できない状況でも信仰が強められ、アブラハムは神の約束を見ることとなり、彼の信仰が義とされたのです。

「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」(ローマ4:25)

イエス様は私たちが義と認められるためによみがえられたのであれば、イエス様の復活を抜きにして、義とされることはないのではないでしょうか?

主は、復活の約束を持って今日も私たちにチャレンジをしています。私たちがそれにどう応答するかを主は見ておられます。それぞれが置かれた状況の中で、自分の現状を見るのか、それとも復活の主を見上げることを選び取り続けるかです。

復活の力をますます体験し、イエスキリストに向かって一心に走ることができますように。主が先に私たちを捕らえてくださっていることの故に、そのように歩めることを感謝します!

「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。
私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3:10~14)

■A:考えてみよう
アブラハムのストーリーは単なる彼のための物語ではなく、今を生きる私たちのために聖書に記されています。(ローマ4:23,24参照)

今日も私たちがそれぞれが置かれた状況において、主の復活を宣言していきましょう!

■P:祈り
主よ、今日も主の復活を通して、私たちは新しく主の義を受け取ることができることを感謝します。私の歩みにおいて、自分勝手な信仰が死に、主の復活を通して、イエスキリストの信仰に立ち続けることができますように。
神の約束を待ち望み続ける民として、主が今日も私自身を建て上げてくださることを感謝いたします。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まこと 】

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