■S:今日の聖書の言葉
マルコによる福音書15章1~5節

★夜が明けるとすぐに、祭司長たちをはじめ、長老、律法学者たちと、全議会とは協議をこらしたすえ、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。
ピラトはイエスに尋ねた。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」イエスは答えて言われた。「そのとおりです。」
そこで、祭司長たちはイエスをきびしく訴えた。
ピラトはもう一度イエスに尋ねて言った。「何も答えないのですか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているのです。」
それでも、イエスは何もお答えにならなかった。それにはピラトも驚いた。

■O:今日のコラム
イエス様が十字架の前に裁判に引き出されたシーンです。この時のイエス様の口数が少ないことにピラトは驚きました。

イエス様は決して無視を貫いた訳ではありません。言うべきことはしっかり発言されています。しかし何度も同じ説明を繰り返すような真似はされなかったのです。

「そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。同じことをくり返して言う者は、親しい友を離れさせる。」(箴言17:9)

私たちは親しいがゆえに言い争うことがあります。喧嘩するほど仲が良い、と言いますが、争いや憤りは罪であって、人の怒りは神の義を実現するものではありません。争いが起こる前に争いをやめよ、です。

言い争い、口喧嘩の定番は「同じことを何度も言うこと」です。言い争いの場では「だからさっきから言ってるでしょ!」と言いたくなるものです。確かに説明責任はあります。説明しないがゆえに分かり合えない状況が生まれることは極力回避すべきです。きちんと説明することなしに心からの一致は難しいものです。

しかし何度も同じことを言わざるをえないように訴えられる状況が起こったら、私たちはどうすべきか?に対してイエス様は模範を示してくださっています。これは私たちの負うべき十字架の一部です。箴言17:9はそむきの罪を覆う十字架の愛を表していますから。

ところで私はコロナでインターネットの情報をたくさん調べるようになりました。その中であるクリスチャンユーチューバーの記事を読みました。その方はネットに多くの聖書の学びの記事をアップしていましたが、しばらくするとコメント欄に視聴者からの質問が寄せられるようになってきたそうです。

最初は丁寧にすべてに答えようとされていたそうですが、だんだんとあからさまに議論や争いを持ちかけるケースが増えてきたそうです。そしてそのような問題に困り果て、そのような論議を仕掛ける人のコメントをネット上で追跡調査したそうです。(そんなことができるんですね)
そうすると驚くべきことが分かったそうなのですが、そのようなあからさまな論議を仕掛けてくる人は、たいがいネット上で不道徳な物に中毒になっていることが分かったそうで、明らかに霊的なものを感じてゾッとした、と記事にありました。

その方は自分で論議に勝利する方法を捨てて、正しく裁かれる主に祈り、委ね始めると主がそのような論議を仕掛ける人々をたちまち鎮めてくださったそうです。

私たちは、どれほど人が自分のことを裁こうと、本当のさばき主は神であることを忘れてはなりません。この方の正しい裁きを慕い求め、復讐は神のものであることを覚える必要があります。

■A:考えてみよう
同じことを繰り返して言う者は親しい友でさえも離れさせることを覚えましょう。争いが生まれそうな時、争いが起こる前に主に祈り、主にへりくだりましょう。モーセは荒野で争いが起こりそうなときに、へりくだり平伏したのです。必ず主が正しい解決を与えてくださることを信じましょう。

■P:祈り
主は神であり裁き主であられる方です。いつでもあなたの正しい裁きを慕い求めま、砕かれた心で御前に近づきます。私自身も正しい者ではなく、正しいのは主だけであることを告白します。争いの起こる前に争いを手放すことを教えてください。むしろ主が和解の主であられるように、私を通して和解、平安が解き放たれますように。平和を作り出す者は神の子どもと呼ばれるとある御言葉が私に成就しますように。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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