■S:今日の聖書の言葉
マルコによる福音書14章64節
★あなたがたは、神をけがすこのことばを聞いたのです。どう考えますか。」すると、彼らは全員で、イエスには死刑に当たる罪があると決めた。
■O:今日のコラム
イエス様当時のパリサイ人、律法学者、ユダヤ人たちは御言葉を調べ、御言葉に忠実に生きようとし、救い主を待ち望んでいた者たちでした。しかしその救い主が現れたとき、彼らは受け入れず、かえって対抗し、最終的には救い主なるイエス様を十字架につけてしまいます。つまり反キリストになってしまいました。
なぜ彼らは待ち望んでいた方に敵対し、最終的には命まで取ってしまうことになったのでしょうか。
「わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っています。しかしあなたがたはわたしを殺そうとしています。わたしのことばが、あなたがたのうちに入っていないからです。あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。」(ヨハネ8:37, 39)
ユダヤ人たちは御言葉を朗読し、行いをもって御言葉に従っていた人たちでした。しかしイエス様は彼らに対して、わたしのことばを聞けず、わたしのことばが入っていないから、わたしを殺そうとしていると言われました。
つまり彼らはイエス様(天の父)が語られることでなく、これが正しい、こうだと思うという自分たちのことばを握っていたのではないでしょうか。なので見えるところにおいては御言葉に従っているように見えても、内側においてはイエス様の語られることばが無い状態であり、それが結局のところイエス様を十字架にかけるという行動に繋がってしまいました。
これはパリサイ人たちの話しであって、十字架を知っていて、イエス様を信じている自分たちには関係ないから大丈夫!というわけではありません。なぜなら上記のイエス様のことばはイエス様を信じる人々に向けて語られたことだからです。
私たちの内側にイエス様のことばがあるでしょうか。私たちという神の宮は何で満ちているでしょうか。反キリストは見える形で現れると思いますが、ただそれだけではなく、私たちの内に立ってしまう私たちの神に敵対する肉の思い(自我)でもあると思います。
「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。) 」(マタイ24:15)
ですから神様の御口の息をもって、私たちの内の不法が焼き尽くされなければなりません。そのためには、私たちの霊的な耳が開かれて御霊が語られることを聞く力を主に求めていきたいと願います。
「その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。」(2テサロニケ2:8)
「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」(黙示録2:29)
私たちは最初から聞けるわけではないと思います。私たちは自分の考えや伝統、肉の思いなどが混ざっている状態からのスタートです。そこから主にあって成長させられ、少しずつではあっても、堅い御言葉を食べることができるようになっていきます。求め続ける者に主は与えてくださる良きお方であり、このお方はご自身で始められたことを必ず成し遂げてくださることを感謝いたします!
■A:考えてみよう
イエス様の言う私のことばとは何だろうか。イエス様のことばは私の内にあるだろうか。パリサイ人たちはなぜあれほど熱心であったのに、イエス様を十字架につけてしまったのだろうか。ぜひ時間を作って御言葉を朗読しましょう。
御言葉を御言葉として受け取っていきましょう。私は通勤時にいつも聴くドラマ聖書を流して御言葉に少しでもふれる時間を持ち、別で朗読する時間を持っています。ここが全てのスタートだと思うからです。御言葉の生活なくしてその先はないと思います。
その上で知恵と啓示の御霊が豊かに注がれて、エピグノーシス(主を完全に知ること)へと主に導いていただきましょう。
■P:祈り
愛するイエス様、完全な愛ではないかもしれませんが、あなたを愛しています。あなたをもっと愛したいです。あなたの喜ぶことを行いたいです。ですからイエス様、あなたのことばを聞くことができるように私の耳を開いてください。
どうかあなたのことばが私の内にとどまり、あなたに敵対する全ての反キリストの性質が焼き尽くされますように。今日も知恵と啓示の御霊を豊かに注いてくださり、もっとあなたを知ることができますように。
愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 たくみ 】
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