■S:今日の聖書の言葉
申命記11章26~28節

★見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。
もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、
もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。

■O:今日のコラム
昔のテレビ番組で、アメリカ横断ウルトラクイズというものがありました。その中の一つで、大きな壁のようなところに「〇」と「×」と書かれた赤と青のパネルがあり、マルバツのクイズが出されていました。回答者は正解だと思った方に勢い良く走り、正解だとパネルの向こうのマットに着地できますが、間違っていると泥水の中に入ってしまうというものでした。

さて、私たちがこの地上で生涯を終え、天の御国に入る時も、ウルトラクイズのような感じで、目をつぶって飛び込んだ先が天国か地獄かというようなものでしょうか?聖書はそうは言っていません。

今日の聖書のみことばでは、私たちの前には祝福とのろいが置かれていると書かれています。では、祝福とは何でしょうか。のろいとは何でしょうか。様々な考えがあると思いますが、この書物はトーラーと言われるモーセ五書の最後の書簡です。申命記は創世記、出エジプト記、民数記、申命記のまとめの書簡です。なので、そのはじめを見る必要があります。

聖書で一番はじめに祝福とのろいが出てくる個所はエデンの中央にあるいのちの木と善悪を知る知識の木です。両方とも同じ「木」ですが、一方は祝福され、一方はのろわれたものとなります。その違いは神の戒めに聞き従うかどうかにかかっています。

「神である主は人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。』」(創世記2章16,17節)

エデンにおいて唯一の神からの禁止事項に男も女も従うことができず、人に罪が入ってしまいました。善悪を知る知識の木は人を死に追いやります。これは律法を意味します。

「私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。」(ローマ7:5)

イエス様が地上で働きをされていた時代、誰よりも熱心に律法を守っていた人たちが律法学者、パリサイ人、祭司たちです。「彼らは律法を守る」ということに固執しすぎたため、目の前に救い主が肉体を持って来てくださったにも関わらず、そのことに気が付きませんでした。彼らは善悪を知る知識の木の実を食べていたのです。

しかし、律法自体はのろわれたものではありません。

「ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。」(ローマ7:12)

律法とは何が正しく、何が間違っているかを私たちに教えるものです。つまり、そのことを通して誰も律法を完全に守ることができないということを知らしめるためのものです。

「それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、『むさぼってはならない』と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。」(ローマ7:7)

すべての人が罪の下にあるということがわかったらどうなるのでしょうか。

「こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。」(ガラテヤ3:24)

そうです!律法は私たちをキリストへと導きます。すなわち、いのちの木へと導きます。

「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである』と書いてあるからです。」(ガラテヤ3:13)

今までの話をまとめましょう。私たちの前にはみことばがあります。このみことばを単なる善悪の基準にするなら、私たちは死へと追いやられてしまい、死んでしまいます。しかし、同じみことばの中からイエス・キリストを見出すなら、それはいのちの木となり、私たちを永遠のいのちへと導きます。

■A:考えてみよう
私は神様の命令に聞き従っているだろうか?神の命令とは何だろうか?

「律法の全体は、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という一語をもって全うされるのです。」(ガラテヤ5:14)

神様を第一にしなければ自分を正しく愛することもできなければ、隣人を神様の愛をもって愛することはできません。
律法全体は「隣人を愛する」ということに集約されます。

イエス様がどのような人にも愛と憐れみの心をもって接せらたように、私たちも隣人に対してキリストの愛をもって接することができるよう、みことばを読み、祈りに専念していきましょう。そこに神の国があらわれていきます。

■P:祈り
今日も変わらず私を愛してくださる天のお父さん、あなたの愛と憐れみをありがとうございます。かつて私はあなた無しに生きていました。しかし、こんな小さな私に御目を向け続け、あきらめることなく救いの御手を指し伸ばし続けてくださいました。
神様を裏切り続けたのは私であるにもかかわらず、神様は私の罪を赦してくださいました。なんという恵みでしょうか。
それなのに、私は隣人の小さなことを赦せない時があることを認めます。どうか私がみことばをもって自分を、そして隣人を裁くのではなく、神様の赦しを宣言することができるように助けてください。
弱い私を造り変えてください。イエス様の心を与えてください。みことばの中からいつもイエス様を見出し、イエス様を選び取っていくことができますように。

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しゅん 】

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