■S:今日の聖書の言葉
マルコによる福音書5章34節
★そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」
■O:今日のコラム
主は私たちの信仰を見ておられます。福音書を読む時、イエス様は時には人々の不信仰に驚かれ、そこでは奇跡を行うことが出来ませんでした。また時には人々の信仰を見て心を動かされて偉大な御業を行い、信仰を持った人々に賞賛の言葉をかけています。
今日の箇所に登場する長血をわずらっている女性も信仰を称賛された一人です。彼女は12年間も病をわずらっていましたが、「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」という信仰を持って、主イエスの着物に触れ、瞬時に病が癒されました。
イエス様は群衆の中から彼女を呼び出し「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」と言われ、彼女の信仰を称賛されたのでした。
信仰とはギリシャ語で「ピスティス」という言葉が用いられています。これは「信仰」だけでなく「忠実、誠実」という意味を持つ言葉でもあります。また新約聖書で「信仰」という言葉が用いられる時「~の上に(置く)」という前置詞が付いています。
では信仰とは私たちの思いや信念の強さによって決まるのではなく、イエス・キリストの上に望みを置くことです。長血をわずらった女性も「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」というイエス様に対する信頼の故に癒しを受けたのでした。
イエス様は「忠実で真実」なお方です(黙示録19:11)。ここで使われている「忠実」という言葉もピスティスです。
「聖書はこう言っています。『彼に信頼する者は、失望させられることがない。』」(ローマ10:11)
ここで使われている「信頼」という言葉も、ピスティスと同じ語源を持つピステウオと言う言葉が使用されています。
もう一度まとめて書くと、信仰(ピスティス)とは、忠実で真実なお方イエス様の上に望みを置くことであり、このお方に望みを置く時に絶対に失望させられることはありません。私たちの人生の中にも12年間も長血をわずらった女性のように、長くわずらい、悩み、苦しんでいる様々な問題があるかもしれません。それが霊的なもの精神的もの肉体的なものであれ、また経済や人間関係に関するものであれ、また自分の罪や咎の故に受ける痛みであったとしても、主イエスはその全領域に救いを与えることのできるお方です。
「このお方の十字架の血潮に触れるなら、きっと直る」という信仰を働かせて今日もイエス様に近づこうではありませんか。
■A:考えてみよう
以下の御言葉を朗読して、主イエスに信頼と望みを置き、今日も御霊により信仰の足が強められ、主イエスにあって真っ直ぐに立ち上がりましょう。
「ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。『イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。 ・・・そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰(ピスティス)のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰(ピスティス)が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。』」(使徒の働き3:12、16)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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