■S:今日の聖書の言葉
マルコによる福音書4章38~40節

★ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」
イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」

■O:今日のコラム
今日の箇所は、福音書の中でもとても有名な出来事です。突風が吹き付けて、イエス様と弟子たちの乗っていた舟は、波にのまれそうになり、沈みそうな勢いでした。詳訳聖書においては「先生。私たちが滅びてもかまわないのですか。」と弟子たちがイエス様に向かってわめいています。

イエス様は私たち教会に御国のかぎを与えられました。

「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイ16:19)

私たちにはイエス様の御名によって祈り、宣言する権威、王である祭司として治める権威が与えられています。

私たちが困難の中で祈る時、どのように祈るでしょうか?時に、私たちの祈りはまさにこの弟子たちのような祈りになってしまうことがあります。
「主よ、私は八方塞がりです。主よ、このような状況に私を置き去りにして、私が滅びてもかまわないのですか?!私が死にそうでも、なんとも思われないのですか?!」

自分の弱さを知って、イエス様により頼むへりくだりは大切です。けれども、私たちは自分たちにイエス様の御名という、何にもまさる偉大な御名が与えられていることを覚えなければなりません。御国のかぎが私たちの手の中にあることを忘れてはならないのです。

苦難が来る時、それが私たちを聖めるための御父の懲らしめ、義の訓練であるなら、しみや傷のない花嫁として整えられるための最上の油として私たちは受け取ります。

けれども、その苦難が敵のわざであるなら、恐れるのでもなく、神に嘆願するのでもなく、与えられている御名の権威によってその状況を治め、立ちふさがる困難に対して、イエス様が手本を示してくださったように「黙れ、静まれ。」と命じていきましょう。

■A:考えてみよう
苦難が来る時、自分はどのように祈るだろうか?今、置かれている状況を、私は神によって治めているだろうか?振り回されているだろうか?

状況が困難でも、神への絶対的信頼と平安を失っていないだろうか。それとも、まったく落ち着きを失って、状況が変わらないのを神様のせいにしていないだろうか?

■P:祈り
愛する天のお父様、私たち教会に御国のかぎが与えられていることを感謝します。
イエス様の十字架の御わざによって私の人生に働いていた呪いが打ち砕かれたことを信じます。
それゆえに、私は神の光の支配の中に移された者であることを感謝します。あらゆる状況にも、苦難にも私は支配されません。振り回されません。今日も状況、感情に私が振り回されるのではなく、私が神にあって治める側であることを感謝します。今日も、王である祭司として歩むことができますように。

王の王、主の主なる神を褒め称え、感謝してイエス・キリスト、その何にもまさる偉大な御名により祈ります。

【 みちる 】

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