■S:今日の聖書の言葉
マルコによる福音書3章13~15節

★さて、イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。
そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、
悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。

■O:今日のコラム
今日の箇所は、イエス様が弟子たちの中から12人を選ばれた場面です。イエス様は山に登り、「これと思う人々」を呼び寄せられました。(「これと思う人々を…」は新共同訳ですが、個人的にこの訳が好きです。) 
イエス様が「これ!!」と思う、お望みの、ご自身のみこころにかなう人を呼び寄せられたのです。

このように、12弟子の任命は、イエス様の一方的な召し、招きでありましたがその根拠は、頭が良いからとか、何ができるとか、信仰が立派だからとか、そういうことではありません。それどころか、イエス様がお選びになった者たちは、弱さを持つ弟子ばかりでした。何も特別な人々ではありません。学者でも金持ちでもありませんでした。イエス様は12弟子をご自身の権威をもって、ご自身の御心のままに使徒としてお立てになったのです。

イエス様が彼らを召し出された目的は何だったのでしょうか。

第一に、彼らを身近に置くためでした。第二に、彼らを遣わして宣教させるためです。第三に、悪霊を追い出す権威を持たせるためです。この三つの目的の中で私たちが特に注目すべきことは、第一に挙げられた目的です。主イエスは、何よりもまず、弟子たちをご自分のそばに置くためにお召しになりました。

私たちも、主イエスの一方的な選びによって召し出された者たちです。第一の目的は、「主のそばに置かれるため」です。もちろん、私たちは主を宣べ伝えるために呼び出されました。しかし、弟子たちのように、弱さを身に負っている私たちは、まず何よりも先に、主のそばに置いていただかなければならない者であることを覚えましょう。

第一の召しに答えた聖書の有名な人物は誰でしょうか。みなさんもよく知っているルカの福音書10章38~42節に記されている、2人の姉妹の妹、マリアです。

姉マルタはもてなしにとても忙しくしていました。一見、マルタの方が正しく見えます。しかし、イエス様からほめられた、ただひとりの人物はマリアでした。何が起こったのでしょう。 マリアは、主から召しを受けることの意味を理解していたのです。

ここから、最も大切なことが何であるかを学ぶことができます。私たちの第一の召しは働きではなく、イエス様ご自身です。私たちの初めの愛、第一の愛は、主ご自身でなければいけません。

「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:4,5)

主が目を留められるのは、偉大な教えや食物だけを求める群衆ではなく、ミニストリーを与えて欲しいと求める者でもなく、ただ一つこと、第一の愛に生きる者たち、主と心一つになった者たちです。主は今日も、第一の召しに答える者、「これ!!」と思う、御心にかなった者たちを探しておられます。

共にこの朝、第一の愛の招きに応答しましょう。

■A:考えてみよう
主のそばに置かれることは、私たちの召された召しの全体を支えます。第一の召しに生きるなら、たとえ倒れたとしても、必ず起き上がることができます。私たちは主のそばに置かれ、主の恵みに養われて、成長し、変えられ、イエス様を宣べ伝える者として遣わされて行くのです。

この朝、主のそばに置かれ、主と共に過ごし、みことばを通して、また、十字架による罪の赦しと復活の恵みを通して、イエスキリストご自身を味わい知りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひさえ 】

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