■S:今日の聖書の言葉
詩篇46篇4,5節

★川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。

■O:今日のコラム
この箇所を朗読したとき、黙示録22章1~5節を思い出しました。

「御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、
都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、
神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。
もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。」(黙示録22:1~5)

ここには新しい都エルサレムについて記されています。もちろんそこは私たちが愛する主と永遠に過ごす場所であり、それと同時に私たちの内なるエルサレムのことでもあります。

この地での歩みの中で、私たちの内なるエルサレムが回復し完成することは主の願いであり、その完成されたエルサレムの描写が今日の箇所になります。

その都にはいのちの水の川が流れ、それは都を喜ばせると書かれています。そのいのちの水の川とは何なのでしょうか。そのことについてイエス様はこのように言われています。

「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』
これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。 」(ヨハネ7:37~39)

その生ける水の川とは御霊のことです。私たちを生かし、喜ばせ、満たす御霊を主は飢え渇き求めなさいと言っておられます。

ですから私たちは今日も飢え渇きを持って主の御前に進み出ていこうではありませんか。そして知恵と啓示の御霊、真理の御霊によって満たされることを願おうではありませんか。そうするときに、私たちの内から生ける水の川が溢れ流れていき、周りの人々をも満たしていくことと信じます。

もし飢え渇きが無いという場合は、主はその飢え渇きさえも主は与え、さらにその飢え渇きを増し加えてくださいます。ぜひ求める者、探す者、たたく者になろうではありませんか。

さらに今日の箇所ではその都の真中に主がおられると言っています。つまりイエス様の御座が設けられ、主を主とし、御言葉が私たちの内に立ち治めていることと言えます。

そのような都は決して揺るがされないことを感謝いたします。

「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。…神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。…万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ」(詩篇46:1,5a,7)

私たちのうちの揺り動かされるものが揺り動かされ、残るべきものだけが残されていきますように。

「この『もう一度』ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。」(ヘブル12:27)

■A:考えてみよう
生ける水の川とは何だろうか。
飢え渇きが自分の内あるだろうか。
揺り動かされるものに信頼していないだろうか。

■P:祈り
愛するイエス様、あなたの愛とあわれみを今日も感謝いたします。
今日も主よ私のうちにさらに飢え渇きを増し加えてください。あなたの御霊を私のうちに注いでくださり、私の内から生ける水の川が溢れ流れていきますように。またあなたが私の主であることを告白いたします。どうぞ私を治め、揺り動かされないものだけが私のうちに残りますように。

愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 たくみ 】

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