■S:今日の聖書の言葉
詩篇23篇1節
★主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
■O:今日のコラム
今日の箇所は有名な詩篇23篇です。この詩篇23篇には数多くの主からの祝福が約束されています。ここに約束されている通りの人生を歩みたいと誰しも思うはずです。その為に大切な事を考えてみたいと思います。
詩篇23篇1節にはこのようにあります。
「主は私の羊飼い。」(詩篇23:1)
ダビデは「主は私の羊飼い」であると最初に告白しています。この告白を私たちもする必要があります。主が私たちの羊飼いであるとはどういう事でしょうか?それは、私たちが「羊」であるという事を認めることです。
羊は非常に弱くて脆い存在です。羊飼いの助けが無ければ生きていけない家畜であると言われています。同じように、私たちは主がいなければ生きていけない存在なのです。その事を素直に主の前に認める事が大切です。
私たちには罪の性質があり、その中で高ぶりという性質があります。高ぶりの性質の根底にあるのは、自分が神様のようになろうとする性質です。私たちは神様の目から見たら羊のような存在にも関わらず、その事を認めず、立場が逆転してしまい、まるで自分が羊飼いとなり、自分の人生を自分で導こうとしてしまうのです。私たちはこの罪の性質と日々戦う必要があります。
私たちが人生において祝福を受け取る秘訣は、絶えず主を「私の羊飼い」とし続けるということです。悔い改めとは、自分と神様の関係を正しい関係に置く作業なのです。主が「羊飼い」であり、私は「羊」であるという関係をいつも意識していきたいと思います。本当の平安はいつもこの関係の中でのみやって来るものなのです。
また、聖書の中でイエス様はご自分のことを「良い牧者」と言われています。
「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10:11)
神の御子であるイエス様は私たちの為に十字架で命を捨てて私たちの事を救ってくれました。そのような愛に満ち溢れたイエス様は、最後まで私たちの人生を責任を持って守り導いてくださいます。このイエス様に信頼して、イエス様の命令に聞き従い人生を生きるならば、必ず祝福が約束されています。
その為に私たちがしなければならないことは、次のことです。
「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」(ヨハネ10:27)
先ほど、羊の特徴として弱さばかり挙げましたが、実は羊には誇るべき能力がありあます。それは自分の飼い主の声だけに従うということです。youtubeにその事を実証している動画がありましたので、リンクを貼っておきます。
この動画では、最初羊飼いではない人が羊に声を掛けますが、何も反応がありません。しかし、最後に羊飼いが羊を呼んだら、見事に羊たちが駆け寄って来ました。羊のように、私たちもイエス様の声を聞き分け、イエス様の声だけに聞き従って人生を歩んでいくならば、そこには必ず平安と祝福が約束されてあります。
どうやってイエス様の声だけを聞き分けて従っていくのでしょうか?この動画に登場する羊たちも最初から主人の声に従う事が出来た訳ではありません。何度も主人の声を聞き、また主人が羊のことを丁寧にお世話をしてくれるので、羊たちは主人に信頼して、主人の声に従う事が出来るようになったのです。私たちもこの羊たちと同じように主人であるイエス様との関係が深くなる必要があります。
その為に必要な事は、日々の「御言葉の朗読」と「祈り」です。
御言葉の朗読と祈りの中でイエス様との関係が深まります。そして、羊飼いなるイエス様の御声を聞き分けることが少しずつ出来るようになっていくのです。また、祈りの中で主の御心を行う力が与えられます。主と私たちの関係はこのように時間を掛けて構築されていくのです。
今日は詩篇23篇の祝福を受け取る秘訣について見てきました。世界は今、コロナウィルスの事で恐れと不安に満ちています。このような状況だからこそ私たちは今一度イエス様にしっかりとついていきたいと思います。イエス様について行くならば、必ず平安な義の道へと私たちを導いて下さることでしょう。「主は私の羊飼い」この告白を毎日の心からの告白として宣言していきましょう。
皆様の上にイエス様の豊かな恵みがありますようにお祈りします!
■A:考えてみよう
主が羊飼いであり、私たちは羊であるというこの関係の中に生きているでしょうか?
神様と私の関係について、今一度考えてみましょう。
■P:祈り
愛するイエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン。
【 あきひろ 】
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